2021年3月7日「祝福を与えよう」木下淳夫 師

タイトル祝福を与えよう
聖書1ペテロ3:8~17
説教者木下淳夫師

 今日は、「祝福を与えよう」というテーマです。

 ペテロの手紙は、苦しみの中にいた信徒に向けて書かれました。この手紙では、人から脅されたり、侮辱されたりしたときの対処についても、教えられています。これは、現代の私たちも経験することですので、ご一緒にみことばを学び、みんなと平和をつくることができる人、みんなを祝福できる人になりたいと願っています。

ペテロの手紙第一3章8節

8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。

(新改訳第三版)

 イエス様は、十字架にかかられる前に、弟子たちに新しい戒めとして、「互いに愛し合いなさい」と命じられました。これは、ユダヤだけでなく、いろいろな国の人々が神様の御前に集うことになるからです。国や民族が異なると、文化や価値観が違っています。しかし、その違いを超えて、互いの存在を認め合い、すべての人がキリストのからだとして一つになるために、新しい戒めとして、「互いに愛し合いなさい」と命じられました。ペテロは、イエス様が与えられた戒めを守るために、心を一つにすること、同情し合うこと、兄弟愛を示すこと、あわれみ深くあること、謙遜であることを命じています。

9〜12節

ペテロの手紙第一3章9〜12節

9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

10 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、

11 悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。

12 主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。

しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」

(新改訳第三版)

 イエス様がなさったように、敵を愛し、迫害する者のために祈ることが命じられています。自分に悪を行う人や侮辱する人を祝福することは、なかなかできることではありません。しかし、信徒は祝福を受け継ぐために召されたので、人を祝福するようにと命じられています。

 10〜12節は、詩篇34篇の引用です。これは、ダビデが「主を恐れることを教えよう」と言って、書き記した聖句です。特にこの詩篇はダビデが絶対絶命の危機を脱したときに詠んだ詩篇ですから、困難に直面している信徒にとっては、とても大切な真理と言えます。困難の中でも、幸いな日々を過ごすためにすべきことは、悪いことを言わない、偽りを語らないということです。そして、悪を遠ざかり善を行うことです。自分から争うのではなく、すべてのさばきを主に委ね、平和を求めることです。主はご自身に従う者に御目を留めてくださり、祈りを聞いていてくださいます。ダビデが、自分の体験として書き記した真理を、すべての信徒も同じように実践して、主の祝福を受け継ぐように教えられています。

ペテロの手紙第一3章13〜17節

13 もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。

14 いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。

15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。

16 ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。

17 もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。

(新改訳第三版)

 本来なら、良いことをしている人が、他の人から苦しめられることはありません。しかし、この世では、さまざまな価値観を持った人がいるため、大多数の人にとって善であることも、ある人にとっては悪だとみなされることもあります。そのため、どれほど良い行いをしていても、だれかに悪く言われること、害を加えられることはあります。そのような理不尽に感じるような苦しみに会うとき、脅かしを恐れたり、心を動揺させてはいけないと命じられています。なぜなら、そのようなときこそ、主であるイエス・キリストを証しする機会になるからです。普通なら脅されたり、侮辱されると、同じように、あるいはさらに多くやり返すでしょう。しかし、かえって相手を祝福するなら、なぜそのようなことができるのかと、相手は不思議に思います。だからこそ、苦しめられたときこそイエス様が十字架をも忍んでくださったことを覚えて、敵をも許し、迫害する者のために祈り、愛を持って優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明するとき、相手は自分の過ちに気付き、神様を恐れるようになります。

 私たちは、イエス様の恵みにより、たましいの救いをいただき、失われることのない平安をいただきました。そして、日々、正しく生きる道を、神様のみことばによって教えていただくことができます。しかし、この世では正しく生きようとしていても苦しみにあうことがあります。そのようなときこそ、迫害する人たちや、困難な状況ばかりに目を向けるのではなく、すべてのさばきを神様に委ねて、隣人を愛し続けてくださったイエス・キリストを崇め、平和を求めてまいりましょう。

 私たちは、神様からの祝福をいただいています。しかし、その祝福は私たちが受け取っておしまいではありません。私たちが与えられた祝福は、時間とともになくなるものではなく、隣人や次の世代に受け継がられていくものです。ですから、神様が与えてくださった祝福を、さらに多くの人に伝えるために、人々を祝福することが命じられています。神様から、また、いろいろな人から与えられた祝福を、自分のところで止めないで、さらにたくさんの人に受け継ぎ、私たちの周りから平和な世界を創っていきたいと願います。