タイトル | 王である祭司 |
聖書 | 2サムエル6:12~15 |
説教者 | 木下淳夫師 |

今日は、「王である祭司」というテーマです。ダビデは、エルサレムをイスラエルの首都に定めると、祭司エリの時代にペリシテ人に奪われた神の箱を、エルサレムに運ぼうと考えました。このことから、ダビデが全イスラエルの王というこの世の権力を持ってからも、今までと変わる事なく、主を愛し、主を慕っていたことがよくわかります。
私たちも、この世の最高権力を持つようになったダビデが、祭司として主と人々の間に立っていた姿から、この世の働きばかりに目を向けるのではなく、主に従い、主の栄光のために奉仕することの大切さを学ばせていただきたいと願っています。
サムエル第二6章12節
12 主が神の箱のことで、オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福された、ということがダビデ王に知らされた。そこでダビデは行って、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上った。
(新改訳第三版)
ダビデは、キルヤテ・エアリムにあった神の箱を、エルサレムに運ぼうとしました。はじめは、新しい車に神の箱を乗せて、牛に引かせていたのですが、輸送中に箱が車から落ちそうになり、それを支えたウザが神様に打たれて死んでしまうというショッキングな出来事が起こりました。神の箱は、人間が手を触れてはならないもので、運ぶ時には箱の四隅に取り付けられた金の環に通された棒を、祭司が肩に担いで運ばなければなりませんでした。それを知らなかったダビデは、良かれと思って新しい車を用意したのですが、残念ながら神様のみこころに叶わず、ウザは不敬の罪で打たれてしまいました。そのため、ダビデは、神の箱をエルサレムに運ぶことをあきらめ、オベデ・エドムの家に預けることにしました。すると、オベデ・エドムの家には祝福がありました。
神の箱に関わると、悪いことが起こるのではないかと恐れていたダビデでしたが、オベデ・エドムの家が、神の箱を守ることによって祝福されたことを聞いて、喜びをもって神の箱をダビデの町、エルサレムに運びました。その時の様子が、13〜15節です。
サムエル第二6章13~15節
13 主の箱をかつぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは肥えた牛をいけにえとしてささげた。
14 ダビデは、主の前で、力の限り踊った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。
15 ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、主の箱を運び上った。
(新改訳第三版)
今度は神の箱を車に乗せないで、人が肩に担いで運びました。彼らが六歩進んだとき、ダビデは肥えた牛をいけにえとして捧げました。本来、いけにをささげるのは祭司の役目です。ですから、ダビデは自ら祭司として主の前に出て、六日働いて七日目が安息日であるように、ダビデは六歩進んで、主の御前で休み礼拝する、人間本来の生き方を、ここで示していると考えられます。
ダビデが神の箱を運ぶという、宗教的な行いをするとき、ダビデが祭司として奉仕していたことは、ダビデが亜麻布のエポデをまとっていたことからもわかります。エポデは祭司が主に仕えるときに着る服です。本来ならエポデは、祭司だけが身につけるものです。それをダビデは身にまとい、主の前で力の限り踊りました。そして、ダビデだけでなく、イスラエルの全家が、主のご臨在を象徴する神の箱を、歓声をあげ、角笛を鳴らして、喜びをもってエルサレムに運びました。
主を礼拝するとき、今まではいけにえを捧げて、お祈りをすることが一般的だったと思います。しかし、ダビデは楽器を演奏し、歌を歌い、さらに踊りを持って主を礼拝しました。ダビデは王としてイスラエルの民を治めるだけでなく、祭司として主と民の間に立ち、主の祝福を求めました。そして、イスラエルの民が、歌や楽器、踊りをもって主に仕えることを主が受け入れてくださることを教えました。
今日、ダビデが王でありながら、祭司として主と民の間に立っていたことを学びましたが、永遠の大祭司であるイエス様は、父なる神様と私たち人間の間に立ってくださり、私たちの罪の贖いを完成してくださったお方です。
そして、イエス様は、信仰により救いに与った私たちとともにいてくださり、私たちにこの世での祭司として役割を与えてくださいました。
ペテロの手紙第一2章9節
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。
(新改訳第三版)
主は私たちをくらやみの中から救い出し、ご自分の光の中に招いてくださいました。それは、私たちも主の救いのみわざを宣べ伝えるためです。罪の中で希望を持つことができない人々に、「このような私でも神様は見捨てることがなくイエス・キリストの命という尊い代価によって罪を赦し、永遠の命を与え、神様の子どもになるという特権を与えてくださった」という、救いの喜びを宣べ伝えるために、主は私たちを、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民にしてくださいました。私たちはこの世の王ではありませんが、王の王であるキリストに属する者にしていただきました。ですから、ダビデと同じように、王である祭司として、主を愛し、主の前に力の限り、喜び踊り、人々に主の素晴らしいみわざを宣べ伝えていきたいと願います。