2021年2月28日「恵みを受け継ぐパートナー」木下淳夫 師

タイトル恵みを受け継ぐパートナー
聖書1ペテロ3:1~7
説教者木下淳夫師

 この手紙が書かれた時代は、奴隷制度もありました。また、妻は夫に従うということが社会のルールになっていました。聖書には、最初の女性であるエバが最初の男性であるアダムの肋骨からつくられたと記されています。エバはアダムの助け手としてつくられました。しかし、アダムとエバは、造り主である神様の命令に背き罪を犯してしまいました。罪を犯した結果、人間は神様から離れ、この地上では悪魔が権威を持つようになりました。男性も女性も神様の前では等しい存在ですが、神様から離れた人間社会では、男性が女性を支配するようになりました。

 しかし、イエス様の恵みによって救いに与かり、神様の子どもにしていただいた信徒は、男性も女性も、奴隷も主人もみな、父なる神様の御前に等しく扱われます。それでも、聖書が妻に対して夫に従うように命じているのは、この世にいる間、社会に必要以上な混乱を起こさないためです。神様は、信徒がさばきを神様に委ねて、この世の制度に従うなかで最善をなしてくださいます。現代の私たちは、この原則と当時の制度を覚えた上でこの手紙を読み、そこに記されている神様の御心を汲み取り、実践することが大切です。

ペテロの手紙第一3章1〜7節

1 同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。

2 それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。

3 あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、

4 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。

5 むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。

6 たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行えば、サラの子となるのです。

(新改訳第三版)

 人間の作った制度に従い、その中で神様が求めておられる良い行いをすることによって、神様の栄光を表すことが信徒に求められています。ですから、当時の妻たちは、夫に従うということが、社会のルールでしたから、ペテロも妻たちに対して、夫に従うように命じています。夫がイエス様を信じているのなら、妻が神様の御前に自分と同じように尊い存在であることを理解していますので、互いに助け合い、補い合って良い働きをすることができます。しかし、夫が未信者の場合、この世の価値観で行動するために、時として妻は夫の行動に逆らいたくなるかもしれません。それでも、イエス様が争うことをせずに十字架を忍んでくださったように、妻が夫に従うなら、夫は妻の無言のふるまいを見ることによって、神様を知るようになります。

 そして、信徒に求められていることは、神様の子どもとして成長することです。ここで教えられているのは、イエス様のように柔和で、穏やかな人になるということです。神様は心をご覧になられます。ですから、外面にばかり気を取られず、内面の成長のため、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する』ことが求められています。

ペテロの手紙第一3章7節

7 同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。

(新改訳第三版)

 夫に対しての命令はシンプルです。信徒といっても、みなこの世の価値観やルールに従って生活してきました。ですから、女性が男性と「いのちの恵みをともに受け継ぐ者」であるという真理を覚えて、女性を尊敬することが命じられています。

また、「それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。」とあります。祈りというのは、神様との親しい交わりであるということができます。ですから、夫が妻を敬うことがなく、一緒に神様の恵みを受け継ぐパートナーとして、神様に仕えることがないのなら、神様との交わりも保つことができないということになります。主を愛すること、隣人を愛することは、同じくらい大切なことです。また、特に夫婦は主にあって一体となっていますので、夫婦がともに主に仕えることはとても重要だということがわかります。男性信者は、熱心に主に仕えようとしても、妻を尊敬して一緒に主に仕えることがなければ、主は夫の内に妻を尊敬する心がないことをご覧になって御心を痛め、その結果、夫は主との交わりもできなくなってしまいます。

 人間は男性だけでも、女性だけでも、いのちを継なぐことはできません。神様が、いのちという尊い恵みを、ともに受け継ぐ者として創造されたからです。

 時代によって、また国によって、男性と女性の関係は異なります。しかし、神様の御前では、男性も女性もともに神様の子どもとして尊い存在であることに変わりはありません。どちらかがいなくても、人間は滅びてしまいます。もちろん、男性と女性では、特性が異なりますから、全く同じように社会で働くことはできません。しかし、異なっているからこそ、お互いを補い合い、助け合ってより良い働きをすることができます。

 私たちは、この世にいる間、人間が作った制度に従って生活しますが、神様の子どもであるということを忘れず、外見にばかりとらわれず、神様がご覧になるのは心であることを覚え、男性も女性も一緒に主を愛し、隣人を愛して、すべての人がイエス・キリストは主であることを知って永遠のいのちの恵みを、受け継ぐことができるように、兄弟姉妹と一緒に奉仕していきたいと願います。