2020年8月16日「互助の働き」木下淳夫 師

タイトル互助の働き
聖書1コリント16:1-9
説教者木下淳夫師

 

 今日は、「互助の働き」というテーマです。教会では昔から互いに助け合うということを実践していました。初代教会では、互いに財産を共有して生活していました。そのように、一人ひとりがキリストの恵みによって救いに与かり、永遠のいのちをいただき、神様の子どもにしていただいことを感謝し、救われた者同士も、神の家族として互いに愛し合っていました。この互助の働きは、ユダヤ人だけにとどまらず、全世界に広がっていきました。

 今日は、教会が互いに愛し合い助け合う働きについて、献金の教えとパウロの行動計画から学ばせていただきたいと願っています。

コリント人への手紙第一16章1〜4節

1          さて、聖徒たちのための献金については、ガラテヤの諸教会に命じたように、あなたがたにもこう命じます。

2          私がそちらに行ってから献金を集めるようなことがないように、あなたがたはおのおの、いつも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておきなさい。

3          私がそちらに行ったとき、あなたがたの承認を得た人々に手紙を持たせて派遣し、あなたがたの献金をエルサレムに届けさせましょう。

4          しかし、もし私も行くほうがよければ、彼らは、私といっしょに行くことになるでしょう。

(新改訳第三版)

 パウロは異邦人教会からの献金でエルサレムの教会を支援するために、各教会に献金の依頼をしていました。そして、パウロがコリントへ行ったときに、コリント教会で選ばれた信徒に、パウロからの手紙と一緒に集まった献金を託して、エルサレムに届けさせるようにしました。もちろん、大金を運ぶことになりますから、パウロが一緒に行った方が良いということなら、パウロは一緒にエルサレムへ行くと言っています。

 2節で、献金について説明がされています。

 献金は各々がします。数人の裕福な人がすれば良いというものではありません。キリストの恵みに与った一人ひとりが、感謝を持ってささげるようにと言われています。

 週の初めにします。ユダヤ人は週の終わりに安息日を守って会堂で礼拝をしていました。しかし、イエス様がよみがえって弟子たちの前に現れたのが週の初めであったことから、クリスチャンは週の初めにも礼拝をしていました。それが異邦人教会にも広がっていましたので、彼らも週の初めに礼拝していました。そのときに、献金を集めるようにと言われています。

 収入に応じてします。献金は額が決められているわけではありません。それぞれ収入が異なっているのですから、収入に応じてささげることです。

コリント人への手紙第一16章5〜9節

5          私は、マケドニヤを通って後、あなたがたのところへ行きます。マケドニヤを通るつもりでいますから。

6          そして、たぶんあなたがたのところに滞在するでしょう。冬を越すことになるかもしれません。それは、どこに行くとしても、あなたがたに送っていただこうと思うからです。

7          私は、いま旅の途中に、あなたがたの顔を見たいと思っているのではありません。主がお許しになるなら、あなたがたのところにしばらく滞在したいと願っています。

8          しかし、五旬節まではエペソに滞在するつもりです。

9          というのは、働きのための広い門が私のために開かれており、反対者も大ぜいいるからです。

(新改訳第三版)

 パウロは自分の行動計画を、手紙に書いています。

 手紙の文面から、パウロは旅の途中であること、コリントへ立ち寄ったならすぐに出ていくわけではなく、滞在するつもりであることが記されています。

 しかし、パウロの行動計画で大切なことは、「主がお許しになるなら」や「働きのための広い門が私のために開かれており、反対者も大ぜいいる」ということから、主の導きに従って行動するということです。もちろん、自分でも考えている計画はありますが、最終的には主のご計画に従うということです。

 エペソで働きの門が開かれているなら、エペソに滞在します。反対者が多く、兄弟姉妹が苦しんでいるなら、彼らを助けに向かいます。パウロは、自分でも宣教のために計画を立て、積極的に行動しましたが、最終的には聖霊様の導きに従って行動しました。そこで、話を聞いてくれる人がいないとしても、迫害があったとしても、パウロは主に従い続けました。

 今日、私たちは献金について、またパウロの行動計画について学びました。

 献金については、アブラハムが神の祭司メルキゼデクにすべての物の十分の一を与えたこと、ヤコブが天のはしごの夢を見たとき、「すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます。」と約束したことから、すべての収入の十分の一を神様におささげすることは古くからなされていました。それにならって、今でも教会では収入の十分の一を神様への献金としています。

 そして、パウロの手紙を通して、献金にはイエス・キリストの恵みによって与えられた神の家族をささえるという意味があることを教えられました。

 パウロは、自分で計画を立てて行動するけれども、主の許しがなければ、計画を変更して主に従っていました。その計画はどちらにしても宣教の働きと、困っている兄弟姉妹を助けるということを学びました。

 さまざまな活動や献金を通して、兄弟姉妹を支えることは、神様が教会に求めておられることです。

ガラテヤ人への手紙5章13節

兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。
ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。

(新改訳第三版)

 私たちは、イエス・キリストの恵みにより、罪の奴隷から解放され、自分がしたいと思う良いことをすることができます。その自由を、自分の欲を満たすためだけに使うのではなく、神の家族を助けるため、その働きによって神様の栄光を現すために用いていきたいと願います。