2021年2月14日「自由の用い方」木下淳夫 師

タイトル自由の用い方
聖書1ペテロ2:13~17
説教者木下淳夫師

 日本では、キリストを信仰している人は少数派です。ですから、クリスチャンというと、珍しがられるかもしれません。それでも、現在の日本では、信仰のゆえに迫害されることは少ないと思います。しかし、ペテロが手紙を書いている時代は、キリストを信じているというだけで、迫害されることがありました。また、現代でも多くの地域で、迫害があります。それでも、そのような厳しい状況になったとしても、神様の御愛は変わることがありません。

 今日は、神様の御愛の中で、信徒は罪に支配されることがないということをみことばから学ばせていただき、恐れに捕らわれることなく、自由に行動を選択したいと願っています。

ペテロの手紙第一2章13〜15節

13 人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、

14 また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。

15 というのは、善を行って、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。

(新改訳第三版)

 当時の世界の支配者は、ローマ皇帝でした。皇帝の中には、自分がすべての人を支配し、すべての人は自分を神として崇めるべきだと思っていました。しかし、キリスト教徒は皇帝を礼拝せず、神様だけを礼拝しましたので、皇帝は彼らを迫害しました。そのような時代ではありましたが、ペテロは王、また、王から遣わされた総督という、信徒たちには敵とも思えるような相手であっても、彼らが作った制度に従うように命じています。

 もちろん、人間が作った制度は完璧ではありません。時には不公平なものもあります。しかし、ペテロは「主のゆえに従いなさい。」と命じました。主であるイエス様は、不正な裁判によって死刑を宣告されましたが、イエス様は黙って十字架の苦しみを受けてくださいました。そのように、イエス様の弟子も、たとえ不完全な制度であっても、それに対して抗議し争うのではなく、イエス様のように従い、さばきを父なる神様に委ねることを教えようとしています。なぜなら、善を行って、愚かな人々の無知の口を封じることは、神様のみこころだからです。悪に対して、悪で対抗しても、争いが起こるだけです。しかし、善をもって対処するなら、主が迫害している人の心を変えてくださいます。

 現代でも、自分たちの思い通りにならないとき、暴力によって自分の主張を通そうとすることがあります。そのような行動をする人たちは、自分は正義を行っていると主張しますが、人々を傷つけ苦しめていることに変わりはなく、決して善を行っているとは言えません。ペテロは、信徒たちにどんなときでも善を行うように命じています。

ペテロの手紙第一2章16〜17節

16 あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。

17 すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。

(新改訳第三版)

 「あなたがたは自由人とし行動しなさい。」とあるように、イエス様を信じた人はみな自由人です。罪を犯す必要はありません。誰がなんといっても神様に喜ばれる正しい行動を取ることができます。当たり前のようですが、イエス様に従わず、この世に従っている人たちは、自分では正しいことをしたくても、周囲の目にとらわれたり、損得勘定が働いたりして、自分ではしたくない行動を選択してしまうことが多々あります。信徒はこの世の人と同じように、まわりの影響を受けて行動を制限されることはありません。神様の御心を第一に選ぶことができます。そのように自分の意思で正しい行動を選ぶことができる人が自由人です。そのような自由が与えられているのですから、あえて制度に逆らうことも自分の自由だとして人々と争うような悪を行うのではなく、イエス様がしもべとして人々にも仕えてくださったように、信徒も神様の奴隷として、神様の御心を行うように命じられています。

 すべての人を敬うこと。これは、神様がすべての人を愛しておられるからです。すべての人と言うとき、大きく二つのグループに分けられます。一つは主にある兄弟姉妹です。もう一つは、王に代表される不信者です。兄弟姉妹に対してはキリストの愛を持って愛し合い、不信者に対しても敵対するのではなく、主が愛しておられる人として尊ぶことです。そして、畏れ敬うべきは神様だけであることも忘れてはいけません。

 イエス・キリストを信じたなら、だれもが神様の子どもであり、この世の束縛からは自由です。しかし、その自由は自分勝手に生きることを意味しているのではありません。イエス様が示してくださったように、どのような人をも愛することができる自由です。

 私たちも今は様々な制限を受ける時代に生きています。しかし、イエス様が人の制度に従われたように、私たちも主のゆえに制度に従い、その中で神様が求めておられる善を行うようにしてまいりましょう。私たちが善を行うなら、その行いを通して神様が最善をなしてくださいます。私たちの良い行いを通して、人々を救いに導いてくださいます。神様がすべての人を愛しておられ、すべての人を救いたいと願っておられることを覚えて、私たちも兄弟姉妹を愛し、すべての人を敬い、神様を恐れて自由に良い行いをしてまいりましょう。