タイトル | 世の光であるイエス様 |
聖書 | ヨハネ9:1~5 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは「世の光であるイエス様」です。
私はカメラマンをしていた時、星空や日の出の撮影をするために、真夜中に山に入ることがありました。電気がまったくない山の中は、本当に真っ暗です。私たちは暗闇で生活することはできません。右も左もわかりません。目が暗闇に慣れたら見えるようになるのですが、それはあくまで少しでも光があれば見えるようになるだけで、何も光がない場所では、自分がどこにいるかもわかりません。
皆さんは、自分の魂がどこにいるのか、どこに向かっているのか、ちゃんとわかっているでしょうか?自分のいのちがどこから与えられ、どこへ行くのか、そして、今、何をすべきかわかっているでしょうか?今日は、霊における暗闇を照らしてくださるイエス様に目を向けて、私たちがなすべきことを再確認させていただきたいと願っています。
ヨハネの福音書9章1~3節
1 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。
(新改訳第三版)
当時、目が見えない人や、手足が不自由な人たちは、人通りが多い道端に座って、人々から施しを受けることで生活していました。イエス様は、道の途中で生まれつきの盲人をご覧になられました。おそらく、いつもでしたら、イエス様はこの盲人に施しをするように弟子たちに命じられるのでしょう。ですから、ここまでは、日常的な出来事です。しかし、弟子たちの質問から、この盲人との出会いが、特別な出来事に変わっていきます。
弟子たちは、この盲人をあわれみ、恵みを施すどころか、罪を犯したのは、この人か、この人の親なのかと、イエス様に尋ねています。確かに、当時の考えでは、罪の結果として病気になったり、さまざまな問題が生じたりすると考えられていました。ですから、生まれつきということから、本人は罪を犯すことはできないだろうから、親の罪が子どもに影響すると弟子たちは考えたのでしょう。彼らは助けを必要としている人が目の前に入るにもかかわらず、自分たちの研究の対象として、この人を見ていました。
それに対してイエス様は、答えられました。
神のわざがこの人に現れるためだと、イエス様は教えられました。このように、イエス様は当時の考え方が間違っていることを弟子たちに教えられました。私たちも、何か悪いことが起こった時、自分が罪を犯したとか、誰かが罪を犯したために、悪いことが起こっていると考えることがあります。しかし、イエス様は人間の目に不幸に見えることも、神様はその人を通してご自身のみわざを現わそうとしておられると教えておられます。
ヨハネの福音書9章4~5節
4 わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。
5 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
(新改訳第三版)
イエス様は、弟子たちに「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを行わなければならない」とおっしゃいました。イエス様だけが、神様のみわざを行われるのではなく、弟子たちも同じように、イエス様をお遣わしになった父なる神様のみわざを行わなければならないとおっしゃいました。そして、弟子たちが働くことができる時間には限りがあることも教えられました。霊的な昼の間です。神様が備えてくださっている恵みの時、救いの日である間に、弟子たちは救いのみわざを行わなければなりません。そして、イエス様は、ご自身が世にいる間、イエス様がこの世を照らす光であるとおっしゃいました。では、イエス様がこの世を離れられたら、この世は完全な暗闇になるのでしょうか?そのようなことはありません。イエス様は弟子たちに、ご自身の霊である聖霊様を与えてくださり、弟子たちを世の光として遣わしてくださいます。そして、弟子たちが世の光として、父なる神様のみわざを行うようになります。
ヨハネの福音書9章4節
わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。
(新改訳第三版)
イエス様が世におられる間、イエス様が世の光として父なる神様のみわざを現わしてくださいました。さまざまな困難を抱えている人たちが、イエス様を信じて、イエス様により頼むことによって神様のみわざを現わしてきました。そのみわざはイエス様の弟子たちに引き継がれ、私たちにも同じ御霊が与えられ、私たちも神様のみわざを行うため、今の恵みの時に、この世に遣わされています。
私たちの身の回りには、理解できない困難がたくさんあります。そのような出来事も、イエス様の弟子である私たちは、神様のみわざが現わされるために起こっているという視点から見つめなおしましょう。そして、神様のみわざを行ってまいりましょう。神様のみわざは、人々を暗闇から光に、死からいのちに移すこと、魂の救いを与えることです。一人でも多くの人によって、神様のみわざが現わされるように、イエス様の福音を宣べ伝えてまいりましょう。