タイトル | 真実に報いてくださる主 |
聖書 | 1サムエル26:21~25 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「真実に報いてくださる主」というテーマで、ダビデが主との交わりの中で体験し、確信していた主の御心を、私たちも聖書のみことばを通して教えていただき、ダビデのように真実に正しい選択をして、主から素晴らしい恵みをいただきたいと願っています。
まず、ここまでのあらすじを確認しましょう。
サウルはダビデがハキラの丘に隠れているという、ジフ人からの知らせを聞いて、三千人の精鋭を率いてダビデを追いかけます。ところが、サウルたちが陣を敷いている場所で、サウルたちが眠っている間に、ダビデと部下のアビシャイは、サウルが寝ている幕営に忍び込みました。
アビシャイはサウルを一気に刺し殺そうと提案しましたが、ダビデは「殺してはならない。主に油注がれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう。」(9節)と、サウルの命を奪うことはしませんでした。ただ、枕元にあった王の槍と水差しを取って行き、自分はサウルに手を下さないことを、サウルに明らかにしようとしました。
そして、ダビデは遠く離れた山の頂上からサウルに語りかけ、サウルが悪い誘いに惑わされて、ダビデの命をねらうことがないように説得しました。
そして、サウルがダビデに語った言葉が21節です。
サムエル第一26章21節
21 サウルは言った。「私は罪を犯した。わが子ダビデ。帰って来なさい。私はもう、おまえに害を加えない。きょう、私のいのちがおまえによって助けられたからだ。ほうんとうに私は愚かなことをして、たいへんなまちがいを犯した。」
(新改訳第三版)
サウルは、ジフ人の報告を聞き、ダビデの命を奪おうという、愚かな過ちを犯してしまったことを認めました。おそらくダビデの居場所を伝えに来たジフ人は、褒美をもらいたいだけで、サウルに対してダビデ討伐を進言したと考えられます。その人間の欲から出た誘惑にサウルは惑わされました。
ダビデが19節で、 「王さま。どうか今、このしもべの言うことを聞いてください。もし私にはむかようにあなたに誘いかけられたのが主であれば、主はあなたのささげ物を受け入れられるでしょう。しかし、それが人によるのであれば、主の前で彼らがのろわれますように。彼らはきょう、私を追い払って、主のゆずりの地にあずからせず、行ってほかの神々に仕えよ、と言っているからです。」と言って、サウルにもたらされた報告が主に敵対する人間から来たものであることを、サウルに思い起こさせ、サウルに罪を認めさせました。
サムエル第一26章22節
22 ダビデは答えて言った。「さあ、ここに王の槍があります。これを取りに、若者のひとりをよこしてください。
(新改訳第三版)
ダビデはサウルへの忠誠の印として、盗み去った王の槍と水差しを返すことを伝え、次のようにサウルに告げました。
サムエル第一26章23〜25節
23 主は、おのおの、その人の正しさと真実に報いてくださいます。主はきょう、あなたを私の手に渡されましたが、私は、主に油そそがれた方に、この手を下したくはありませんでした。
24 きょう、私があなたのいのちをたいせつにしたように、主は私のいのちをたいせつにして、すべての苦しみから私を救い出してくださいます。」
25 サウルはダビデに言った。「わが子ダビデ。おまえに祝福があるように。おまえは多くのことをするだろうが、それはきっと成功しよう。」こうしてダビデは自分の旅を続け、サウルは自分の家へ帰って行った。
(新改訳第三版)
ダビデは主に忠実に従い、主が油注がれたサウルに手を下したくなかったこと、そして、その正しさと真実に、主は報いてくださるという主の御心を、サウルに伝えました。そして、ダビデがサウルのいのちを大切にしたように、主がダビデのいのちを大切にしてくださり、すべての苦しみから救い出してくださることを宣言しています。
これは、ダビデのいのちを狙う相手が、たとえサウル王であっても、主が守ってくださるのでダビデのいのちを奪うことはできないという、主への絶対的な信頼を告白した言葉です。
今日、覚えたいことは二つあります。
一つ目は、主から出ていない悪い誘惑があるということです。
サウルは一度はダビデを追うことをしないと約束していたのに、再びダビデを探しに出かけました。そのきっかけがジフ人の報告です。私たちが何をするのかを決定するとき、他の人からの言葉は大きな影響を与えます。しかし、それがすべて主の導きとは限りません。その情報源が主に従う人の情報であるかどうか、注意深く判断してまいりましょう。
二つ目は、主はその人の正しさと真実に報いてくださるということです。
サムエル第一26章23節
23 主は、おのおの、その人の正しさと真実に報いてくださいます。
(新改訳第三版)
正しいこととは何でしょうか?それは、主が私たちに求めておられること、つまり最も大切な戒めとして与えられていることです。
「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(マタイ22:37)
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(マタイ22:39)
律法全体と預言者、つまり聖書全体が、この二つの戒めにかかっていると、イエス様は教えられました。ですから、私たちはうわべだけの愛ではなく、心から主に信頼し主に従うこと、隣人を愛することを行動の基準にしましょう。
私たちに罪を犯させようとする誘惑は、いつやってくるのかわかりませんが、惑わされることがないように、みことばを心に蓄えて、正しい選択、心から主を愛し隣人を愛する真実な行いをして、主から報いをいただきたいと願います。
ダビデはこのイエス様のみことばの通り、サウルを罪に定めることをせず、サウルを赦して、サウルへの忠誠を示し、主に対して真実に従う信仰を部下たちにも示しました。
私たちも、人がした間違いに対しては、お互いの成長のために注意することは必要ですが、主が愛しておられる人をさばき、自分の手でさばきを下すことは、主のみこころではないことを覚え、互いに赦し合い、支え合って歩んでいきたいと願います。