
タイトル | イエス様を信じるとは |
聖書 | ヨハネ2:23〜25 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「イエス様を信じるとは」というテーマです。
私たちは「イエス様を信じます」と言いますが、イエス様をどのようなお方として認めているのかということは大切なことです。
イエス様が宣教を始めた当時、イエス様を信じた人がたくさんいたのですが、イエス様はそのような人たちの心をご覧になって、彼らの希望に沿うことはなさいませんでした。それは、イエス様を自分勝手に想像したキリストとして信じていたからです。私たちも、イエス様のことを正しく認め、信仰を持って従いたいと願っています。
ヨハネの福音書2章23節
23 イエスが、過越の祭りりの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた。
(新改訳第三版)
過越の祭りは、出エジプトの出来事を記念しています。出エジプトとは、モーセが生まれた頃の時代、神様がイスラエルの人々の祈りを聞いて、奴隷として支配されていたエジプトから連れ出し、祖先であるアブラハムに約束しておられたカナンの地に導いてくださったことを記念しています。エジプトの支配者であったパロは、かたくなにイスラエルの民をエジプトに止めようとしました。ですから、神様は十の災いをエジプト人だけに下されました。そして、パロがイスラエルの民に、エジプトを出て行くことを許すきっかけとなった最後の災いが、主の過越でした。神様はイスラエルの民には、羊をほふり、その血を家の門柱とかもいに塗るように命じられました。それは、神様がさばきをくだすことなく、その家を過ぎ越すためのしるしでした。そのしるしがないエジプト人の家では、男子の初子がみな神様のさばきを受けて死んでしまいました。この出来事によって、イスラエルはエジプトから脱出することができました。それを記念しているのが過越の祭りりです。
このように、イスラエルの救いを記念している祭りですから、イエス様の時代のイスラエルの民もローマからの救いを求めてこの祭りに集まり、約束のメシアが来られることを待ち望んでいました。そこに、イエス様が来られ、しるしを示してご自身がメシアであることを宣言されたのですから、多くの人々は熱狂的に、イエス様をメシアと信じたと考えられます。
ヨハネの福音書2章24〜25節
24 しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからである。
25 また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったのである。
(新改訳第三版)
しかし、イエス様は、彼らが本当に信仰を持ってイエス様を信じたわけではないこともご存知でした。彼らは約束のメシアを、ローマからイスラエルを解放する王と考えていました。彼らは、イエス様のことを、新しいイスラエルの王として迎え入れ、ローマからの解放を期待していました。イエス様は力あるお方ですから、人々の期待に応えることもおできになりました。しかし、イエス様がこの世に来られたのは、この時代のイスラエルの王になるためではありません。すべての人に罪の赦しを与え、永遠の滅びから救い出すために、イエス様はこの世に来てくださいました。残念ながら当時の人々の内にあるメシア像が、神様のご計画とかけ離れていたので、イエス様は彼らの期待に沿って、彼らの王になることはなさいませんでした。
当時は、自分こそメシアであると言って、人々を扇動した人たちが何人かいました。そのような人たちは、自分の仲間たちの証言によって自分の地位を確立し、支配者になろうとしました。しかし、イエス様はご自身がメシアであると言うことを人々に証言してもらって、多くの人を集めることはなさいませんでした。なぜなら、そのような人たちの証言は、まちがったメシア像であり、全人類の救い主としてのイエス様、まことの神様であるイエス様を証言するものではなかったからです。
ヨハネの福音書2章25節
25 また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられた・・・
(新改訳第三版)
今日、覚えたいことは、私たちがどのようにイエス様のことを理解しているのかと言うことです。イエス様が望んでおられることは、私たちが聖書を通してイエス様のことを知るということです。イエス様は、当時ご自身がメシアであることをしるしを示して、証言されました。ところが、人々は自分勝手なイメージでイエス様を自分たちの王と考えました。私たちも、自分勝手なイメージでイエス様を捉えていることはないでしょうか?
イエス様を恐ろしい神のように考えていませんか?また、自分の願いをなんでも叶えてくれるしもべのように考えていませんか?イエス様は、罪は憎まれますが、罪人の友となってくださったお方です。イエス様はすべてを創造された神様ですが、同時に私たちと同じ人間になってくださいました。そして、私たちの痛みや悲しみをすべて知ってくださいました。イエス様は、まことの神様であり、私たちのためにいのちを捨ててくださった友です。そして、私たちを守ってくださる王です。このお方が私たちを愛してくださっていることを覚えて、イエス様と共に人生を歩んでまいりましょう。