タイトル | 主に伺うダビデ |
聖書 | 1サムエル23:1~5 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「主に伺うダビデ」というテーマで、困難な放浪生活中のダビデが重大な決断を下さなければならないときに、主に伺って道を求めたことを学び、私たちも、人生を最善に導いてくださる主に信頼していきたいと願っています。
サムエル第一23章1〜2節
1 その後、ダビデに次のような知らせがあった。「今、ペリシテ人がケイラを攻めて、打ち場を略奪しています。」
2 そこでダビデは主に伺って言った。「私が行って、このペリシテ人を打つべきでしょうか。」主はダビデに仰せられた。「行け。ペリシテ人を打ち、ケイラを救え。」
(新改訳第三版)
ダビデはサウルにいのちを狙われ放浪生活をしなければなりませんでした。その間に、ダビデの家の人たちもサウルにいのちを狙われる危険性がありましたので、ダビデのもとにやってきました。また、ダビデを慕ってきた人たちも集まりました。
そのように放浪生活をしていたダビデに、ユダ部族の領土にある要塞の町ケイラがペリシテ人に攻められているという知らせが入ります。同胞のイスラエルが、窮地に立たされているという知らせを聞いたダビデは、当然ケイラの人たちを助けたかったでしょう。しかし、自分が戦いに出たなら、サウルに自分の居場所を教えることになります。自分の身を守るために隠れ続けるのか、それとも、危険を冒してまで、ケイラの同胞を助けに行くのか、また、戦いに出たとしても、必ず勝つという保証はありません。そのような難しい決断を迫られたダビデは、主にどうすべきかを伺いました。ダビデは、「私はどうすればよいでしょうか。」ではなく、「私が行って、このペリシテ人を打つべきでしょうか。」と、主に伺っています。このことから、ダビデは同胞を助けたいという願いが強かったのだと考えられます。ダビデは、同胞のイスラエルの王からいのちを狙われてはいましたが、同胞を愛する気持ちは全く変わっていません。
そのダビデに主は答えてくださいます。「行け。ペリシテ人を打ち、ケイラを救え。」主からの答えは「行きなさい。」と、とてもシンプルです。そして、ダビデの気持ちをご存知である主は、「ケイラを救え。」とおっしゃいました。
サムエル第一23章3節
3 しかし、ダビデの部下は彼に言った。「ご覧のとおり、私たちは、ここユダにいてさえ、恐れているのに、ケイラのペリシテ人の陣地に向かって行けるでしょうか。」
(新改訳第三版)
いくらダビデが勇士であっても、ケイラを攻めているペリシテ人たちに、たった一人で戦いを挑むわけにはいきません。どうしても、ダビデのもとに集まってくれた部下たちの協力が必要です。しかし、部下たちは比較的安全な隠れ場所であるユダのハレテの森にいてもサウルの追っ手を恐れているのに、自分たちから出て行って危険を冒すことに不安を感じていました。
サムエル第一23章4〜5節
4 ダビデはもう一度、主に伺った。すると主は答えて言われた。「さあ、ケイラに下って行け。わたしがペリシテ人をあなたの手に渡すから。」
5 ダビデとその部下はケイラに行き、ペリシテ人と戦い、彼らの家畜を連れ去り、ペリシテ人を打って大損害を与えた。こうしてダビデはケイラの住民を救った。
(新改訳第三版)
ダビデは、もう一度主に伺いました。このときのダビデはサウルに追われる身ではありましたが、かつては千人隊の長にも任命されていましたから、彼らが何と言おうと「主が仰せられる。ケイラに行く。」と言っても良かったのですが、ダビデは、彼らの声を聞き入れて、もう一度主に伺いました。ここにも、主に従い、部下も大切にしているダビデの姿を見ることができます。
主からの答えは、「さあ、ケイラに下って行け。わたしがペリシテ人をあなたの手に渡すから。」です。先ほどと同じ命令に加えて、主がペリシテ人をダビデの手に渡すという約束がなされています。この約束ほど、戦いに出る戦士たちを勇気づけるものはありません。
ダビデと部下たちは、主のみことばの通りケイラに行き、ペリシテ人と戦い、ケイラの住民を救いました。
私たちも、大切な決定をしなければならないときがあります。そのとき、ダビデが主に伺って、みことばを求めたことを覚えましょう。現代の私たちは、ダビデのように、主から直接み声をかけていただくことは少ないかもしれませんが、主は私たちの願いを知っておられ、また、最善の道をご存知であるお方です。そして、私たちに聖書のみことばを通して道を示してくださいます。
ただ、大切な決断になればなるほど、みことばをいただいても、本当にそれでいいのだろうかと不安になることもあります。そのようなときも、主は私たちを不信仰と責めることはなさいません。私たちの弱さをご存知の主は、私たちが信仰を持って道を選び取ることができるように、約束のみことばをくださったり、助け手を与えてくださったりして、私たちが信仰を持って踏み出すことができるように助けを与えてくださいます。
ヤコブ書1章21節
みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
(新改訳第三版)
私たちもダビデのように、日頃から、主を愛し、主に信頼して生活してまいりましょう。そして、隣人を大切にして、みんなが平安をいただいて歩むことができるように、主のみことばをいただいてまいりましょう。