2020年9月27日「主の恵みによる活躍」木下淳夫 師

タイトル主の恵みによる活躍
聖書1サムエル18:10~16
説教者木下淳夫師

 

 今、礼拝ではサムエル記から、羊飼いからイスラエルの偉大な王になったダビデについて学んでいます。ダビデは、ゴリヤテとの戦いの後、サウル王の信頼を得て戦いに出て、勝利を重ねる大活躍を続けました。その活躍はダビデの力というよりも、主の恵みです。今日は、「主の恵みによる活躍」というテーマで、主から離れたサウルの失敗と、ダビデがきびしい戦いの中でも勝利を収め、人々から愛されるようになったことを学び、私たちもダビデのように勝利と愛の人生を歩ませていただきたいと願っています。

サムエル第一18章10〜11節

10 その翌日、わざわいをもたらす、神の霊がサウルに激しく下り、彼は家の中で狂いわめいた。ダビデは、いつものように、琴を手にしてひいたが、サウルの手には槍があった。

11 サウルはその槍を投げつけた。ダビデを壁に突き刺してやろう、と思ったからである。しかしダビデは二度も身をかわした。

(新改訳第三版)

 

 サウルには、わざわいをもたらす神の霊が激しく下りました。主は、サウルに対して、初めは聖霊をお与えになり、力ある働きをすることができるようにしておられました。しかし、サウルが主に対して不従順になると、主の霊はサウルを離れました。

 そして、ダビデがサウルから憎まれ、多くの試練を通して、後に王になったときに役に立つ経験をするように、サウルには御霊によって恵みを与えるのではなく、わざわいをもたらすように、主が働きかけられたと考えられます。

 サウルがダビデに対して疑いを持つようになった翌日、わざわいをもたらす霊が下っていますので、主がサウルにわざわいをもたらされたのは、サウル自身の悪意がきっかけであり、サウルへの戒め、また、ダビデの訓練のために、主がサウルに働きかけておられたと考えられます。

 このわざわいをもたらす霊によって、サウルは家の中で狂いわめきました。ダビデは、サウルが正気を失ったときには、サウルが正気を取り戻すように、琴を弾いていました。このときもダビデはサウルのために琴を手にしてサウルの元にやってきたのですが、サウルはダビデを殺そうと槍を投げつけました。ダビデが二度、身をかわしたと書かれているのは、サウルの行動が明確な殺意を持ってなされたものだということを伝えています。

 このような出来事があると、ダビデの方がサウルを恐れてもおかしくないのですが、サウルの方がダビデを恐れました。なぜなら、主がダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからです。

サムエル第一18章12〜16節

12 サウルはダビデを恐れた。主はダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからである。

13 それでサウルはダビデを自分のもとから離し、彼を千人隊の長にした。ダビデは民の先に立って行動していた。

14 ダビデはその行く所、どこででも勝利を収めた。主が彼とともにおられた。

15 ダビデが大勝利を収めるのを見て、サウルは彼を恐れた。

16 イスラエルとユダの人々はみな、ダビデを愛した。彼が彼らの先に立って行動していたからである。

(新改訳第三版)

 サウルはダビデが自分の王位を狙っていると疑い、ダビデを恐れて彼を自分から離れたところに配属して、戦いに送り出し、できることならそこで戦死することを企んだのでしょう。ダビデは千人隊の長という高い地位を与えられて、戦争に出ることになりましたが、サウルの意図を考えると、非常に危険な戦いが続いたことと思います。

 ところが、ダビデはそのような状況でも民の先頭に立って戦い続け、どこに行っても勝利を収めました。それは、ダビデがゴリヤテと戦ったときと同じように、主がイスラエルを守ってくださると信じて、主により頼んで戦っていたからです。主は、そのようなダビデとともにいてくださり、勝利を与えてくださいました。 その結果、サウルはダビデをさらに恐れるようになりました。しかし、イスラエルとユダの人々はみな、ダビデを愛するようになりました。ダビデはきびしい戦いを通して、人々に信頼され愛されるようになりました。それは主がダビデとともにいてくださったからです。それに加えて、ダビデが彼らの先に立って行動したということが、人々の信頼を勝ち得た理由であると聖書は教えています。

 私たちも日々の生活の中で、さまざまな戦いを経験しますが、そのときにどのように戦うべきなのかということを、ダビデの行動から学ぶことができます。

第一、主を愛すること。

第二、主に対して忠実、人に対して誠実であること。

第三、信仰を持って行動すること。

ピリピ人への手紙2章6〜9節

6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、

7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、

8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。 9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

(新改訳第三版)

 イエス様が父なる神様に十字架でいのちを捨てるまで忠実に従われたこと、そして、主はイエス様を高く引き上げられたことを覚えましょう。私たちも、ダビデのように、またイエス様のように、主に忠実に従いましょう。また、イエス様が使える者の姿を取ってくださったように、人に対して誠実に仕え、主がともにいてくださることを感謝して、行動していきたいと願います。そうすれば、イエス様が高く上げられたように、主は私たちも高く引き上げてくださり、ダビデのように人々に愛される人生を与えてくださいます。