2022年7月10日「人を築き上げるみことば」木下淳夫 師

タイトル人を築き上げるみことば
聖書2コリント12:19~21
説教者木下淳夫師

 今日は、「人を築き上げるみことば」というテーマです。

 家を建てている過程を見ることはあまりないのですが、私は幸いなことに三公記念館の建築を、見せていただき、工事の説明も聞かせていただきました。その中で、一つ一つの工程が、きちんと考えられていて、それぞれの場所に、適切な材料を適切な技術で組み上げていくことが大切だということを教えられました。これは、人間にとっても同じではないでしょうか。私たちは、生まれてから、さまざまな経験を通して、肉体的にも精神的にも成長していきます。しかし、成長する過程で、まちがった知識や価値観が入ってくると、その人は最善に設計された姿に成長することができません。ですので、神様が設計してくださった姿、神様のかたちに築き上げられるように、神様のみことばを学ばせていただきたいと願っています。

コリント人への手紙第二 12章19〜21節

19 あなたがたは、前から、私たちがあなたがたに対して自己弁護をしているのだと思っていたことでしょう。しかし、私たちは神の御前で、キリストにあって語っているのです。愛する人たち。すべては、あなたがたを築き上げるためなのです。

20 私の恐れていることがあります。私が行ってみると、あなたがたは私の期待しているような者でなく、私もあなたがたの期待しているような者でないことになるのではないでしょうか。また、争い、ねたみ、憤り、党派心、そしり、陰口、高ぶり、騒動があるのではないでしょうか。

21 私がもう一度行くとき、またも私の神が、あなたがたの面前で、私をはずかしめることはないでしょうか。そして私は、前から罪を犯していて、その行った汚れと不品行と好色を悔い改めない多くの人たちのために、嘆くようなことにはならないでしょうか。

(新改訳第三版)

 みことばに従わず、自己中心に生活する人たちは、パウロが語った主のみことばを受け入れようとせず、自分の価値観に合った人たちのことばを重視していました。ですから、パウロがどれだけ罪を指摘して悔い改めるように命じても、彼らには、パウロが自己弁護しているように聞こえました。しかし、パウロは、今までコリントの人たちに語り続けてきたことは、自分を弁護して、自分を高めるために語ったのではなく、すべて、神様の御前で、キリストにあって語ったことであると言っています。すべてのことをご存知である神様の御前で、偽りを語ることはできません。しかも、パウロが語ることばは、キリストにあって語ったことば、つまり、パウロをお遣わしになったキリスト・イエス様が語られたみことばであると宣言しています。パウロが語ることばには、自分をよく見てもらおうとか、利益を得ようという思いはまったくありません。ただ、すべては、コリントの信徒一人ひとりを築き上げるために、パウロは真理のみことばを語り続けています。それは、パウロが、自分を拒否している人たちに対しても、「愛する人たち。」と語りかけていることからわかる通り、十字架で苦しみの中にあっても、迫害する者のために、「父よ、彼らをおゆるしください。」と祈ってくださった、イエス様の御愛が、パウロを通してコリントの人たちに注がれていることがわかります。

 ただ、パウロは恐れていることがありました。それは、愛するコリントの人たちが、この手紙を通して、また、先に遣わしたテトスたちの働きを通しても、悔い改めることをしないで、争い、ねたみ、憤り、党派心、そしり、陰口、高ぶり、騒動が、教会内にあることです。本当なら、彼らを神様の子どもへと導いた霊的な父親として、コリントの人たちと平和な交わりをしたいと願っていたのですが、このままでは、厳しい父親として、彼らを叱責しなければならないのではないかと、パウロは恐れていました。

 子どもが悪いことをして、誰かに叱られる時、親は子どもと同じように、子ども以上に悲しみ、恥ずかしい思いをするのではないでしょうか。そのように、パウロは、彼らが罪を悔い改めないで自己中心に生きていることを、とても悲しんでいたのですが、それは、まさに親が子どものために受ける苦しみと同じでした。パウロは、それほどコリントの人たちを、自分の子どものように愛していて、彼らが神様の子どもとして、神様のかたちへと成長することを心から願っていたことがわかります。

コリント人への手紙第二 12章19節

あなたがたは、前から、私たちがあなたがたに対して自己弁護をしているのだと思っていたことでしょう。

しかし、私たちは神の御前で、キリストにあって語っているのです。

愛する人たち。すべては、あなたがたを築き上げるためなのです。

(新改訳第三版)

 パウロが、キリストにあって語っていると言ったように、パウロがこの手紙に書いていることは、すべてキリストにあって書かれたものです。つまり、主イエス様の御心が、この手紙には記されているということです。そして、この手紙に記されたみことばは、今、この手紙を聖書として読んでいる私たちにも、同じように語られていることを覚えてください。イエス様は、罪に気づかず主の御心を痛める私たちを見捨てることなく、「愛する人たち。」と呼んでくださり、私たちが受けるべき恥を、十字架ですべて受けてくださいました。そして、私たちを築き上げるために、使徒たちを通して真理のみことばを語りかけてくださっています。

 真理のみことばは、私たちを神様のかたちへと成長させてくれます。イエス様の似姿へと変えてくれます。このみことばを聞いて、みことばに従いましょう。聖書のみことばは、この世の価値観と異なることが多いのですが、自分の利益を求めることなく、すべてを捨てて、愛を示してくださったイエス様を信じて、イエス様が語ってくださるみことばに信頼しましょう。私たちがみことばに従うなら、約束通り、私たちは神様の子どもとして成長し、キリストのからだである教会も立派に築き上げられていきます。