タイトル | 労苦は終わる |
聖書 | イザヤ書40章1〜5節 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は「労苦は終わる」というテーマです。
新型コロナウイルス感染症が流行し、私たちの生活は大きく変化しました。また、ウクライナで戦争が勃発し、世界情勢が一変しました。そのような今まで経験したことがないような試練を、私たちは経験していますが、このような労苦がいつまでもつづくものではないという神様の約束を握って、希望を持たせていただきたいと願っています。
イザヤ書 40章1〜2節
1 「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」とあなたがたの神は仰せられる。
2 「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」
(新改訳第三版)
これは、預言者イザヤに与えられた主のみことばですが、これはイスラエルの民が主に対して罪を犯し、さばきを受けた後に慰めを受けることの預言ですから、バビロン捕囚からイスラエルがエルサレムに帰還することの預言と考えられます。また、バビロン捕囚に限定することなく、イエス・キリストによって、苦難の中にあるイスラエルの民が救いに与る預言とも考えることができます。どちらにしても、イザヤは自分が生きている間に、バビロン捕囚を経験しませんでしたが、捕囚後の解放、また、イスラエルの完全な贖いについて、啓示を受けていました。
イスラエルは、主に愛されている民でありながら、モーセの時代から主に対して罪を犯し、そのたびにきびしい罰を受けて来ました。その後、ダビデが王となってイスラエルは近隣の民族を退け、ダビデの子ソロモンの時代には、平和がおとずれました。そして、神殿と王のための宮殿も建設され、他の国から多くの財宝が送られるほど国は繁栄しました。しかし、ソロモン王の末期は、主の戒めを守らず、次の代から王国は分裂し、良い王様が現れることもありましたが、イスラエルの罪は重くなり、ついにバビロンによって国を失うというさばきを受けることになりました。
また、バビロン捕囚から解放され国が再興された後も、イエス様をメシアとして受け入れなかったために、ローマによってエルサレムは崩壊し、イスラエルの民は国を失ってしまいました。それでも、1948年イスラエル国家は再建されました。
このように、歴史上エルサレムは崩壊と回復を繰り返すのですが、イザヤに与えられた預言は、主ご自身が罪を犯したイスラエルを見捨てることなく、いつか必ず罪を赦し回復させてくださるという希望を伝えています。
イザヤ書 40章3〜5節
3 荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。
4 すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。
5 このようにして、主の栄光が現されると、すべての者が共にこれを見る。主の御口が語られたからだ。」
(新改訳第三版)
イスラエルの回復は、人間の力によるものではありません。バビロンからの解放については、エズラ記やネヘミヤ記を読むとわかるのですが、本来あり得ないような恵みをイスラエルの民が、異国の地であるバビロンで受け、故郷に帰還することが許されたことがわかります。
また、ローマに支配されていた時代に、イエス様が来られ、イスラエルの民は、約束のメシアによるローマからの解放を期待しました。しかし、イエス様がもたらしてくださる解放は、一つの民族が、その時代において解放されるだけのものではなく、すべての人に与えられる、死からの解放でした。
イスラエルの罪とさばき、そして回復の歴史を見ると、罪を犯したために試みを受けている民が、赦しを受けて回復するためには、主なる神様の介入が必要だということです。ですから、人々は主の道を整えるように命じられています。そして、主の栄光が現されると、すべての者が共に主の栄光を見ることになります。
イエス様が来られた時、荒野に呼ばわる声として、バプテスマのヨハネが、人々に罪を悔い改め、まもなくやって来られる約束のメシアであるイエス様を迎えるようにと叫びました。そして、多くの人がヨハネの声に従いました。
現代において、私たちも主に対して罪を犯し試練の中にあります。しかし、そのような私たちに対しても、イザヤを通して語られたみことばは、イエス・キリストの恵みとして、私たちにも希望を与えてくれます。
イザヤ書 40章2節
その労苦は終わり、その咎は償われた。
そのすべての罪に引き替え、
二倍のものを主の手から受けたと。
(新改訳第三版)
必ず労苦は終わりがあります。そして、主に立ち帰り、主を待ち望むなら、すべての罪に引き替え、主の御手から二倍の祝福があります。そのために、主はご自身の栄光を現してくださいます。終わりの日には、イエス様ご自身が王の王として来てくださいます。それ以前にも、聖霊様が栄光を現してくださり、主を待ち望む全ての人にご自身の栄光を見せてくださり、主に信頼する人が、平安と祝福をいただくことができることを体験させてくださいます。
イザヤ書 40章5節
このようにして、主の栄光が現されると、
すべての者が共にこれを見る。
(新改訳第三版)
私たちは、困難な時代を生きていますが、主に対する罪を悔い改め、主を待ち望むなら、必ず慰めの時がやってきます。主ご自身が栄光を現わしてくださり、私たちを救ってくださり、今まで以上に多くの祝福を与えてくださいます。そして、まだイエス・キリストを知らない人たちも、私たちが見る主の栄光を共に見て、救いに与るようになります。