2020年7月19日「復活は信じられるのか?」木下淳夫 師

タイトル復活は信じられるのか?
聖書1コリント15:12-28
説教者木下淳夫師

 

 人間ができれば避けたい最悪のことと言えば「死」ではないでしょうか。ですから、昔から多くの人は不老不死を願いました。キリスト教は、イエス・キリストを信じる者は、死んでも新しい体を持ってよみがえると教えています。

 死んだ人がよみがえるということは、現実には起こりそうにないことです。ですから、コリントの教会でも、「死者の復活はない」という人がいました。本当に復活は信じられるのでしょうか。その疑問に対する答えを、パウロを通して語られた主のみことばを通して確かめましょう。

コリント人への手紙第一15章12〜15節

12        ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。

13        もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。

14        そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。

15        それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。

(新改訳第三版)

  教会が伝えている福音は、

「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと」

このことを、信じるなら永遠の滅びから救われ、永遠のいのちを与えられます。永遠のいのちを持つということは、イエス・キリストを信じた人は、たとえ肉体が死んだとしても、滅びることなく生き続けることを意味します。死んだ人もキリストがよみがえられたように、新しい肉体を持ってよみがえるということです。

 しかし、コリントの教会には、亡くなった信者は復活しないと言う人がいました。もちろん、イエス様の約束は、「わたしを信じるものは死んでも生きる」です。その約束があるにもかかわらず、復活はないと言うのは、目に見えることだけ、また、自分の常識の範囲だけで判断しているからです。

 パウロは、死者の復活があることを、キリストが復活したという事実によって説明しています。現代では、キリストの復活を疑う人がいるかもしれませんが、当時は復活したイエス様を目撃した信者が大勢いましたので、多くの人はまちがいない真実であると認めていました。だからこそ、現代でもイエス・キリストの復活が宣べ伝えられています。

キリストがよみがえられたのは事実であり、証人もたくさんいます。もしも、死者の復活がないのなら、キリストも復活することはなかったはずです。仮にキリストの復活がなかったとしたら、パウロたちの宣教は実質のないものになります。なぜなら、最も大切なこととして伝えたことが、偽りの証言だったなら、福音は全く信頼できないものになるからです。そうなると、福音を信じた信徒の信仰も実質のないむなしいものになってしまいます。それどころか、パウロは神様に対して偽証した者になります。

コリント人への手紙第一15章16〜22節

16        もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。

17        そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。

18        そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。

19        もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。

20        しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

21        というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。

22        すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。

(新改訳第三版)

 もしも、コリントの一部の信徒が言うように、死者の復活がないのなら、当然キリストの復活もありません。キリストの復活がないのなら、救いの約束は偽りにすぎません。そうなると、福音を信じたとしても、罪が赦されることなどありません。罪が赦されないのなら、先に眠った信徒たちは天国に入ることができず、滅びてしまったことになります。

イエス・キリストを信じることによって、罪が赦され、永遠のいのちをいただくことができるということが、神様の約束ではなく、ただ、人間の希望にすぎないのなら、それはむなしいものです。しかし、イエス様がよみがえられたのは真実です。ですから、信仰はむなしいものではありません。

 それでも、イエス・キリストはよみがえったけれども、普通の人間である我々はよみがえることはないと言う人がいるかもしれません。その人たちに対して、パウロはキリストの復活は初穂であり、その後にすべての信徒が続くと教えています。また、一人の人アダムによって、すべての人が死ぬ者になったのだから、死者の復活も一人の人イエス・キリストから、すべての人に与えられると説明しています。

コリント人への手紙第一15章23〜28節

23        しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。

24        それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。

25        キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。

26        最後の敵である死も滅ぼされます。

27        「彼は万物をその足の下に従わせた。」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。

28        しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。

(新改訳第三版)

 死者の復活はあると言われても、実際に見ていないことなので信じられない人も多いでしょう。現代でも復活を見ることができないのは、死者が復活するときは、キリストの再臨のときだからです。

 キリストは、すべての敵をその足の下に置きます。人間にとって最後の敵である死も、終わりのときには滅ぼされます。そして、この世界が創造されたときのように、人間には死がなく、神様がすべてにおいてすべてとなられ、信徒には永遠の平安が与えられます。

 私たちも自分の目で死者の復活を見ることはないかもしれません。しかし、キリストの復活が真実であることを信じたならば、イエス様の再臨のとき信徒もよみがえるという約束を固く握りましょう。私たちがイエス様の恵みによって与えられた信仰はむなしいものではありません。永遠に残る宝です。この与えられた宝を大切にし、また、多くの人にも宣べ伝えてまいりましょう。