2020年6月7日「すぐれた賜物を求める」木下淳夫 師

タイトルすぐれた賜物を求める
聖書1コリント12:27-31
説教者木下淳夫師

 

今日は、コロナ以前に学んでいた第一コリントに戻り、教会について再確認して、前進していきたいと願っています。

コリント人への手紙第一12章27〜28節

27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。

28 そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行う者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。

(新改訳第三版)

 人間のからだがさまざまな部分からできているように、教会もさまざまな個性を持った人たちから成り立っています。それぞれに大切な働きがあり、誰一人として不要な人はいません。そのように、パウロは、教会がキリストのからだであり、ひとりひとりが各器官であると教えています。人間のからだは成長して、さまざまな働きをします。そのように、神様は、キリストのからだの各器官であるひとりひとりの信徒が成長して、良い働きをすることができるように、特別な賜物を与えた人たちを、任命しておられると教えています。

 第一に使徒たちです。使徒はイエス様から権威を授けられて遣わされた、特別な弟子たちです。彼らはイエス様から直接教えを受けた弟子たちであり、十字架と復活の証人です。与えられた御霊によって、イエス様が語られたみことばを思い出し、いのちがけで福音を宣べ伝え、あらゆる人をキリストの弟子として導きました。

 預言者は、神様からのみことばを伝える人です。旧約の時代には、多くの預言者がいました。この手紙が書かれた時代も、預言者たちが活躍し、信徒たちに神様の御心を伝えていました。現代では、神様はご自身の御心を聖書によって啓示してくださっているので、当時ほど多くの預言者は任命されていないと思われます。

 教師は、神様のみことばを教える人たちです。みことばを正しく理解して、すべての信徒が神様の御心を知って正しい道を歩むことができるように導く働きが与えられています。

 奇蹟を行う者は、その奇蹟によって神様を証しする働きです。イエス様が行われた奇蹟が、すべてご自身がメシアであることをしめすしるしであり、そのしるしによって人々を救いに導いたことからも、奇蹟が神様の栄光を現すものだということがわかります。

 いやしの賜物を持つ者は、人々が抱える病を癒すことによって、その人に平安を与え、奇蹟を行う者と同じように、神様の栄光を現す働きです。神様が愛してくださっていること、力あるお方であることを示す証人です。

 教会にはさまざまな人々がいますので、彼らを互いの関係をつなぐための奉仕をする人々も任命されています。助ける者、治める者が、そのような働きを担います。

 最後に、異言を語る者が挙げられています。預言とよく似た賜物ですが、異言を聴く人は、超自然的な現象を耳にしますので、驚くことでしょう。異言は神様が語られているというしるしとして、教会の中で用いられています。ただ、異言は他の人にとって何を意味しているのかわからないので、それを解き明かす人も与えられます。

コリント人への手紙第一12章29〜31節

29 みなが使徒でしょうか。みなが預言者でしょうか。みなが教師でしょうか。みなが奇蹟を行う者でしょうか。

30 みながいやしの賜物を持っているでしょうか。みなが異言を語るでしょうか。みなが解き明かしをするでしょうか。

31 あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。
   また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。

(新改訳第三版)

 28節に挙げられた神様から任命された働きは、とても魅力的であり、「自分も使徒になりたい」「いやしの賜物がほしい」と思うかもしれません。しかし、これらは神様がお選びになった人に与えられる働きであり、誰もが求めて得られるものではありません。だからと言って、何もしないで良いというわけでもありません。この地上で教会の働きが続く限り、さまざまな働きも誰かに引き継がれていきます。からだの細胞が、日々新しくなっていくように、教会のメンバーもいつも同じではありません。そのために、ひとりひとりが今与えられた時間の中で、立てられている預言者、教師、さまざまな賜物を与えられている兄弟姉妹との交わりを通して、神様のみことばを学び、御心に従って成長することが大切です。そして、今までは何もできないと思っていた人でも、やがて成長し、次の世代の教師などに任命されるようになります。

 ですから、よりすぐれた賜物を熱心に求め、キリストのからだが成長するための良い働きを積極的に行っていくように命じられています。

 今回、新型コロナウイルスの感染により、礼拝堂に集まることができなくなりました。しかし、このような災いを通して、本当の教会は、物理的、地理的な教会ではなく、御霊によって一つとされた信徒の集まり、キリストのからだであることを再確認することができました。ですから、私たちもひとりひとりが熱心にすぐれた賜物を求め、次の世代にも神様の福音と祝福を届けられるように、成長して良い奉仕を続けていきたいと願います。