
| タイトル | 着せられる白い衣 |
| 聖書 | 黙示録 3:1~6 |
| 説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは、「着せられる白い衣」です。
サルディスの教会は、他の町の教会と少し様子が違っていました。この町では、教会に対する大きな迫害がなく、信徒たちもそれほど経済的、社会的に苦しめられているというわけではありませんでした。ですから、現代の日本の教会の状態に近いのかもしれません。このような教会に対してイエス様が語られるメッセージに耳を傾け、私たちがなすべき行いを完了したいと願っています。
ヨハネの黙示録 3章1~6節
1 また、サルディスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊と七つの星を持つ方が、こう言われる──。わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。
2 目を覚まし、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いがわたしの神の御前に完了したとは見ていない。
3 だから、どのように受け、聞いたのか思い起こし、それを守り、悔い改めなさい。目を覚まさないなら、わたしは盗人のように来る。わたしがいつあなたのところに来るか、あなたには決して分からない。
4 しかし、サルディスには、わずかだが、その衣を汚さなかった者たちがいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らがそれにふさわしい者たちだからである。
5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。またわたしは、その者の名をいのちの書から決して消しはしない。わたしはその名を、わたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。
6 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』
(新改訳2017)
サルディスは、イエス様を信じる信徒に対して大きな迫害はなかったそうです。この町には裕福なユダヤ人たちのコミュニティがあったので、皇帝礼拝や異教の宗教祭儀もありましたが、宗教的には寛容だったと考えられます。
このような環境にいた信徒たちに対して、イエス様はご自身が七つの神の御霊を持っている。また、七つの星、つまり、七つの教会の御使いたちを持っていると宣言しておられます。7という数字は、霊的な完全性を表す数字です。ですから、目に見える生活は平和で満たされている信徒に対し、イエス様は彼らの霊的な状態をご存じであることを宣言しておられると言えます。
イエス様がご覧になった信徒の霊的状態は残念ながら死んでいました。彼らは市民生活で住民登録され生きている人と認められていました。また、イエス様を信じていのちの書に名前を記された人たちでした。けれども、彼らの行いは、神様の子どもとして、また、イエス様の弟子としては何もしていない状態、死んだ状態だと、イエス様は叱責しておられます。
ですから、イエス様は、このメッセージを聞いた信徒たち、信仰をもって生きた働きをしている信徒たちに対して目を覚まし、そして、救いに与ったのに行いが死んでいる信徒たちを力づけるように命じておられます。力づけるために必要なことは、自分たちが何を受けたのか、何を聞いて救いに与ったのかを思い出すことです。つまり、イエス様の十字架の死が、自分の罪のためだったこと、そして、私たちの代わりに墓に葬られ、よみがえってくださり、私たちにも復活のいのち、永遠のいのちを与えてくださったことを思い出すことです。そして、まちがった道から悔い改めることが命じられています。
イエス様は、サルディスの多くの信徒が、平和に甘んじて神様の恵みを忘れ、霊的に死んでいることを指摘しておられますが、その中でも、信仰を固く守っている信徒、主に従い通している人たちもいることを認めてくださいました。
そのような信徒は、イエス様が白い衣を着せてくださると約束してくださいました。その白い衣は、信徒がこの世にあっても、イエス様のみことばに従い、主を愛し、隣人を愛し、また、教会においても互いに愛し合って神様の栄光を現した証しとして、与えてくださる衣です。そして、イエス様はそのような人たちとともに歩むとおっしゃってくださいました。
サルディスの信徒の多くは、いのちの書に名前が記されたのに、神様の子どもにふさわしい生き方、イエス様と一緒に歩むことをしていませんでした。しかし、イエス様が白い衣を与えると約束してくださったような信徒は、いのちの書に名前が記されるにふさわしい人、神様の子どもとして、天国の住人としてふさわしい人であると、イエス様は認めてくださり、父なる神様、また、御使いたちにも、この人は立派な神様の子どもであること、イエス様の友であると宣言してくださいます。
ヨハネの黙示録 3章5節
勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。
(新改訳2017)
私たちの行いはどうでしょうか。外見は豊かで平和な生活をしていても、霊において生きているでしょうか。いのちの書に名前を書いていただいたのに、その行いが死んでいるということはないでしょうか。救いに与って信仰生活を始めたけれども、主のみことばを聞こうとしないで、この世の生き方に従っていることはないでしょうか。もしも、聖霊様がそのような的外れな行いをしていることを指摘してくださるなら、悔い改めて、自分が何を受けたのか思い起こして、イエス様の十字架に立ち返りましょう。
イエス様は、死にかけている残りの者たちを力づけるように命じておられます。イエス様は、救いに与った兄弟姉妹がすべて勝利を得てほしいと願っておられます。この勝利が目に見える成功ではなく、十字架の愛に根差した生き方、イエス様に従った生き方であることを覚えましょう。
私たちの社会は、見た目を重視します。外見や社会的な経歴によって人を判断します。しかし、イエス様はいのちの書に名前を書かれた神様の子どもたちが、主を愛し、隣人を愛して生きていくこと、みことばに忠実に歩むことを願っておられます。ですから、いつも目を覚まして、イエス様が再びこの世に帰ってこられるときを待ち望みましょう。そうするときに、イエス様は私たちにも白い衣を着せてくださり、父なる神様と御使いたちに、私たちをご自身の愛する友であると言ってくださいます。