
| タイトル | 運命のわかれ道 |
| 聖書 | ルカ23:39~43 |
| 説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは、「運命のわかれ道」です。
みなさんは、毎日何を食べようか、何を着ようか、何をして過ごそうか、いろいろなことを考えて選択しているのではないでしょうか?また、どの学校に進学しようか、就職しようか、どこに住もうかなど、さらに人生において大きな選択を迫られることもあります。
さらに重要な選択は、この世を離れた後に続く永遠という時間をどこで過ごすのかという選択です。「そんなことを、今自分で決められるのか」と思うかもしれませんが、実はこの選択をしなければならないのは、今このときです。
みなさんの目の前には、いのちと祝福の道と、死とのろいの道という運命のわかれ道があります。この選択を間違うことがないように、今日のみことばに耳を傾けてまいりましょう。
ルカの福音書23章39~43節
39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。
40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
(新改訳第三版)
イエス様が十字架につけられたとき、二人の犯罪人が一人はイエス様の右に、一人は左につけられました。この二人のうち一人はイエス様に向かって悪口を言いました。この人は、自分が犯罪を犯したので十字架につけられたのですが、なんとかしてこの苦しみから逃れたいという願いがありました。そこで、隣で十字架につけられているイエス様が、約束のキリストであると言われていたので、イエス様に「自分と私たちを救え」と言いました。
イスラエルの民は、約束のキリストをユダヤ人の王であり、ローマの支配から解放してくれる救い主であると考えていました。それは、かつてイスラエルの民がエジプトで奴隷として苦しめられていた時、神様はモーセを遣わしてくださり、エジプトから救い出してくださった経験があったので、苦しみの中で神様が遣わしてくださるモーセのような預言者であるキリストは、あらゆる支配から救い出してくれるお方であると、当時のイスラエルの民は考えていました。ですから、この犯罪人は、キリストなら自分を救えるはずだと考えていました。
ただ、この言い方は、あまりにも自分勝手です。自分で犯罪を犯して、その罰を受けているのに、一緒に十字架につけられていたのが、キリストと呼ばれるイエス様だったからと言って、イエス様をののしり、救い出せと命令するのはあまりにひどい態度でした。
もう一人の犯罪人は、その人をたしなめました。そして、自分たちは自分のしたことの報いを受けているのだから、十字架につけられるのは当然だけれども、イエス様は何も悪いことをしていないのに、十字架につけられているということを認めました。そして、イエス様をまことの神様として認めました。彼は、イエス様がまことの神様なのだから、必ず天の御座にお着きになることを確信し、そのときに自分のことを思い出して憐れんでくださいと、謙遜にお願いしました。
イエス様は、この人に「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
と、告げられました。もちろん、今イエス様とこの犯罪人がいる場所は、パラダイスどころか残酷な処刑場です。しかし、イエス様はここで十字架につけられているということは、幕屋の庭に置かれた祭壇でいけにえがささげられたように、イエス様とこの犯罪人も神様へのいけにえとしてささげられているのだとおっしゃいました。そして、この人は大きな犯罪を犯したけれども、神様の御前に罪を悔い改め、イエス様を救い主と信じたことにより、天の御国に入ることを、イエス様は約束してくださいました。
ルカの福音書23章43節
「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
(新改訳第三版)
この二人の犯罪人は十字架につけられていましたが、彼らの前には、死と呪いの道だけではなく、いのちと祝福の道も開かれていました。一人はイエス様をののしり死の道へ、もう一人はイエス様を神の御子キリストであると信じていのちの道へと導かれました。
私たちの前にも、この運命のわかれ道があります。いのちと祝福の道に進むために必要だったことは、自分の罪を認め、へりくだってイエス様を救い主と認めてあわれみを求めることです。罪からの救い、永遠の滅びからの救いは、神様の一方的な恵みによることです。そして、その恵みに信仰で応答することによって救われます。恵みは天から与えられるものです。ですから、自分がへりくだればへりくだるほど、その恵みは豊かに注がれます。
今日、私たちも、私たちのために十字架で苦しみを受けられた救い主イエス様の御前にへりくだり、主の恵みとあわれみを受け取りましょう。そして、与えられたいのちと祝福の道から離れることがないように、いつも十字架の主に目を向けて歩んでまいりましょう。