2021年12月12日「マリヤの希望」木下淳夫 師

タイトルマリヤの希望
聖書ルカ1:46~55
説教者木下淳夫師

 今日は「ヨセフの希望」というテーマです。

 今日は「マリヤの希望」というテーマです。

 イエス様の母として神様に選ばれ、聖霊によってみごもったマリヤは、今でこそ祝福された女性として、多くの人に知られていますが、イエス様を身ごもった当時は、律法によると死刑にされてもおかしくない危険な状況に置かれていました。そのマリヤが、どのように希望を持ち続けることができたのかをご一緒に学ばせていただきたいと願っています。

 マリヤは聖霊によって身ごもったということを、御使いガブリエルから告げられたのですが、信じられないという思いもあったでしょう。しかし、マリヤは御使いガブリエルから、親類のエリサベツも妊娠していることを聞きました。エリサベツは、それまで夫ザカリヤとの間に子どもがなく、また、二人とももう年をとっていました。そのエリサベツが神様の恵みによって妊娠していると聞いて、マリヤはエリサベツが住むユダの町に行きました。

 マリヤはエリサベツに会い、彼女が本当に妊娠していること、また、マリヤの挨拶を聞いて、お腹の子どもが踊り、エリサベツが聖霊に満たされて語った言葉から、自分の身にもエリサベツと同じように、神様の祝福があり、主によって語られたことは必ず実現すると信じきるようになりました。

 そして、マリヤが主をほめたたえて言った言葉が46節から55節です。

ルカの福音書 1章46〜48節

46 マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、

47 わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。

48 主はこの卑しいはしために 目を留めてくださったからです。 ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、 私をしあわせ者と思うでしょう。

(新改訳第三版)

 主はイエス様の母として、マリヤをお選びになりました。もちろん、このような特別な選びを受けたマリヤは幸いな人です。しかし、夫と一緒に暮らす前に妊娠したことは、他の人に疑われるのは当然ですが、自分自身も信じられない出来事です。確かにマリヤは、御使いの言葉を受け入れましたが、さまざまな不安や疑いがあったことでしょう。その不安は、エリサベツに会って、すべて解消されました。そして、自分のような者に主が御目を留めてくださったという事実に感謝して、主をほめたたえました。

ルカの福音書 1章49〜50節

49 力ある方が、 私に大きなことをしてくださいました。 その御名は聖く、

50 そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、 代々にわたって及びます。

(新改訳第三版)

 マリヤは自分を祝福してくださった主がどのようなお方であるのか、今までの信仰生活から知っていました。そして、そのお方が自分の身に大きなことをしてくださったことを喜びました。

 私たちも、この賛美の言葉から主がどのようなお方であるのか、再確認しましょう。主は聖いお方です。罪や汚れがなく、この世のあらゆるものと異なるお方です。本当なら罪の世にいる私たち人間とは関わりがないお方ですが、主はそのような私たちを見捨てることなく、あわれんでくださるお方です。そして、1000年も前にダビデに約束されたことでも変わることがなく、ダビデと同じように主を恐れかしこむ者に、そのあわれみは与えられました。そのあわれみは、いつまでも変わることなく、現代の私たちにも与えられます。

ルカの福音書 1章51〜55節

51 主は、御腕をもって力強いわざをなし、 心の思いの高ぶっている者を追い散らし、

52 権力ある者を王位から引き降ろされます。 低い者を高く引き上げ、

53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。

54 主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、 そのしもべイスラエルをお助けになりました。

55 私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に 語られたとおりです。」

(新改訳第三版)

 イスラエルはローマの支配下にあって、苦しめられていました。そのような中にあったイスラエルに、主は約束された王、ダビデの子イエス様をマリヤのお腹に与えてくださいました。

54 節「主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。」

 マリヤだけでなく、すべてのイスラエルの民が、どれほど主の救いを待ち望んでいたことでしょうか。また、イスラエルに、愛と正義によって統治するまことの王が与えられることを待ち望んでいたことでしょうか。もしかしたら、主はダビデに約束されたことを、忘れてしまったのではないかと思うほど、ダビデ王朝が途絶えてから長い年月が経ちました。約束のダビデの子は、本当に現れるのだろうかと絶望しそうになっていたかもしれません。しかし、主はそのあわれみをいつまでも忘れることはありませんでした。そして、約束通り救い主イエス様をお与えくださり、すべての人を永遠の滅びから救う道を開いてくださいました。

 マリヤは、主がそのあわれみをいつまでも忘れることがないお方であることに、大きな希望を持つことができました。そのあわれみは、私たちにも与えられています。私たちも主を恐れかしこむとき、力ある主が御目を留めてくださり、困難の中から助け出してくださいます。主が語られたみことばは必ず成就すると信じきって、救い出す力ある主に希望を持ち続けてまいりましょう。

コリント人への手紙第二 4章16〜18節

16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

(新改訳第三版)