
| タイトル | 完了した贖い |
| 聖書 | ヨハネ19:28~30 |
| 説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは、「完了した贖い」です。
イエス様が完了してくださった贖いとは、罪の奴隷であった私たちを、ご自身のいのちという代価をもって買い戻してくださった事実を指しています。
今日は、この贖いの恵みを覚えて、罪から自由にされ、死からいのちに移されたこと、永遠の滅びからも救われたことを喜び、感謝したいと願っています。
ヨハネの福音書19章28~30節
28 この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。
29 そこには酸いぶどう酒のいっぱい入った入れ物が置いてあった。そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それをイエスの口もとに差し出した。
30 イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。
(新改訳第三版)
ヨハネの福音書では、イエス様が十字架上で語られたこと、なさったことについて多くは記述されていません。それは、この福音書が他の福音書よりも後に書かれたこと、また、イエス様が神の御子であることを証するという目的で書かれたことが理由です。ただ、ヨハネはイエス様が、ここまですべての預言が成就されていることをご存じであったと証しています。つまり、すべては神様の御計画通り行われたことであり、イエス様の血潮によって、すべての人の罪を贖うという契約がなされたことを、イエス様は知っておられました。
そして、いよいよご自身の霊を父なる神様の御手にお渡しになる時が来たことを知ったイエス様は、「わたしは渇く」という詩篇の預言を成就されてから、「完了した」とおっしゃって、「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」と大声で叫ばれました。このように、イエス様はご自分の霊をご自分の意思で父なる神様にお渡しになられました。人間は自分の霊を自分の意思で神様に渡すことはできません。もちろん、霊を受け取ることも、作り出すこともできません。それができるのは神様だけです。このことから、イエス様がまことの神様であるということを、ヨハネは示しています。
イエス様は、酸いぶどう酒を受けられたことが記されています。ほかの福音書では、苦みを混ぜたぶどう酒はお受けにならなかったことが書かれています。苦みを混ぜたぶどう酒は、受刑者たちの苦痛を和らげるための麻酔のような働きをする飲み物です。しかし、最後にイエス様がお受けになったぶどう酒は、麻酔ではなく普通のぶどう酒であり、現代でいうところのワインビネガーです。イエス様が、この酸いぶどう酒をお受けになったのは、最後に「完了した」、「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」という大切な宣言をなさるためでした。
ヨハネの福音書19章30節
イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。
そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。
(新改訳第三版)
イエス様は、私たちを罪から救うために、人となってこの世に来てくださいました。救うと言っても、力によって私たちを自由にすることはなさいません。なぜなら、義である神様は、罪に対して正しくさばきをくだすお方だからです。ですから、神様は私たちの罪に対して、罰を与えることなく赦すことはおできになりません。しかし、神様が私たちに対してさばきを下されるということは、永遠の滅びを意味します。
義である神様は、同時に愛なる神様です。ですから、神様は私たちを滅ぼしたくありません。ですから、イエス様が身代わりになって罪の罰を受けることによって、私たちの罪を赦すことを約束してくださいました。これがイエス・キリストによる贖いです。
イエス様は、父なる神様が計画された贖いを成就するため、罪のない人間としてこの世に来てくださり、すべての人の罪を背負って贖いを完了してくださいました。イエス様は、贖いが完了したことを宣言しておられます。それは、イエス様を信じるすべての人は、罪から自由にされ、死からいのちに移されているということです。イエス様を信じた人は、永遠の滅びから救われ、もはや罪人ではありません。罪から自由ですから、古い罪の性質をひきずって、悪い行いを続ける必要はありません。自由に神様を愛して神様の御心を行うことができます。この恵みを感謝しましょう。そして、神様の子どもとされている自覚を持って、賛美しつつ主に近づかせていただきましょう。