2023年11月19日「イエス様についての証言」木下淳夫 師

タイトルイエス様についての証言
聖書ヨハネ5:30〜38
説教者木下淳夫師

今日は、「イエス様についての証言」というテーマです。

イエス様は、真の神様ですが、完全な人としてこの世に来られました。ですから、一見するとイエス様が神様であることがわかりません。ユダヤ人の指導者たちも、当然、イエス様がまことの神様であり、神様から遣わされたお方、約束されたメシアであるとは信じられませんでしたから、イエス様についての証言を心の中で求めたことでしょう。そのように、イエス様を信じられない人に対して語られた、イエス様ご自身の証言を学び、私たちはイエス様を神の御子、キリストと確信したいと願っています。

ヨハネの福音書5章30〜35節

わたしは、自分からは何事も行うことができません。ただ聞くとおりにさばくのです。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです。

もしわたしだけが自分のことを証言するのなら、わたしの証言は真実ではありません。

わたしについて証言する方がほかにあるのです。その方のわたしについて証言される証言が真実であることは、わたしが知っています。

あなたがたは、ヨハネのところに人をやりましたが、彼は真理について証言しました。

といっても、わたしは人の証言を受けるのではありません。わたしは、あなたがたが救われるために、そのことを言うのです。

彼は燃えて輝くともしびであり、あなたがたはしばらくの間、その光の中で楽しむことを願ったのです。

(新改訳第三版)

 イエス様は、すべてのことを正しくさばかれる父なる神様のみこころを求めて行うとおっしゃいました。ですから、イエス様がご自身をメシアと信じる人に永遠のいのちを与えることも、また、さばきをくだすこともすべて正しくなされるのだと教えられました。イエス様は、父なる神様から、すべての権威を与えられてこの世に遣わされ、それを人々に示されるお方です。

 しかし、ユダヤ人たちは、イエス様が神様から全権を与えられて遣わされたということが信じられません。おそらく、ユダヤ人たちは、「イエス様が神様から遣わされたと言うのなら証人を連れて来い」と考えたことでしょう。イエス様は、彼らがご自身のことを信じないことをご存じなので、バプテスマのヨハネがご自身のことを正しく証言しているとおっしゃいました。実は、ユダヤ人の指導者たちも、バプテスマのヨハネがメシアではないかと考えて、人を遣わして調査をしましたから、ヨハネが自分の後から来る方は、自分よりも優れたお方であると言っていたこと、そして、イエス様を指して世の罪を取り除く神の小羊と言ったことも、ユダヤ人たちは知っていました。そして、イエス様は、このヨハネの証言は真実であるとおっしゃいました。

 それでも、イエス様はバプテスマのヨハネに限らず、だれか他の人の証言がなければ、ご自身が神様から遣わされたメシアであることを証明できないわけではないとおっしゃいました。ただ、イエス様は、彼らが求めるレベル、彼らが理解できるレベルに合わせて答えてくださったにすぎません。すぐれた人間であり、忠実な預言者であったバプテスマのヨハネですら、しばらくの間、神様から火を与えられて燃えて輝くともしびにすぎませんでした。

ヨハネの福音書5章36〜38節

しかし、わたしにはヨハネの証言よりもすぐれた証言があります。父がわたしに成し遂げさせようとしてお与えになったわざ、すなわちわたしが行っているわざそのものが、わたしについて、父がわたしを遣わしたことを証言しているのです。また、わたしを遣わした父ご自身がわたしについて証言しておられます。あなたがたは、まだ一度もその御声を聞いたこともなく、御姿を見たこともありません。

また、そのみことばをあなたがたのうちにとどめてもいません。父が遣わした者をあなたがたが信じないからです。

(新改訳第三版)

 イエス様が、ご自身について証言しているものは、イエス様がなさっている業であるとおっしゃいました。イエス様がなさっていた業、しるしと呼ばれる奇跡は、人間にできるものではありませんでした。当時、ツァラアトにおかされた人をきよめることは人間にはできませんでした。これらを行うことができるのは、約束されたメシア以外にいないと、ユダヤ人たちは考えていました。もちろん、罪を赦すことは人間に絶対できないこと、ただ、神様だけがなさることと考えられていました。そのような業をイエス様がなさることによって、イエス様が父なる神様から権威を与えられて遣わされたお方であることの証言であると、イエス様はおっしゃいました。

 また、父なる神様ご自身が、イエス様について証言をしてくださるとイエス様はおっしゃいました。しかし、ユダヤ人たちは、神様の御声を聞いたこともありませんでした。御姿を見たこともありませんでした。なぜなら、彼らが神様を愛していなかったからです。愛していないから、神様のみことばを心にとどめることがありません。ですから、イエス様が神様から遣わされたお方であることを信じることができませんでした。 

ヨハネの福音書5章36節

父がわたしに成し遂げさせようとしてお与えになったわざ、すなわちわたしが行っているわざそのものが、わたしについて、父がわたしを遣わしたことを証言しているのです。

(新改訳第三版)

 イエス様が、父なる神様から遣わされた御子であり、約束のメシアであることを示す証拠は、まさに神業というほかない奇跡を、イエス様が行われたということです。イエス様は、神様を信じることができない人たちであっても、イエス様を神の御子と信じることができるように、驚くべき神様の御業を示してくださいました。それは、だれもがイエス様を救い主と信じて、滅びから救われ、永遠のいのちを得るためです。ただ、当時のユダヤ人の指導者たちのように、心をかたくなにしてしまったなら、そのしるしを目の当たりにしてもイエス様を救い主と信じることができません。ですから、すなおな心でイエス様がなさった御業を覚え、そのような力あるお方が、私たちのために十字架で命を捨ててくださるほど、私たちを愛してくださり、死に打ち勝つほどの力と権威を持っておられることを覚えましょう。そのお方が、私たちの味方となり、助けてくださることを感謝して、イエス様に従ってまいりましょう。

ヨハネの黙示録21章5節

(新改訳第三版)