
| タイトル | 永遠のいのちとは… |
| 聖書 | ヨハネ17:1~5 |
| 説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは、「永遠のいのちとは…」です。
人間は生まれてきたなら、必ず死を迎えます。そして、誰もが死を恐れます。人間が死を恐れるのは、その先になりがあるのかわからないからです。もしくは、神様がお定めになった第二の死、永遠の滅びを霊において知っているからかもしれません。ですから、永遠のいのちを得ると言うことは、すべての人にとって重要なテーマですので、イエス様が語られたみことばに耳を傾け、与えられる永遠のいのちを受け取らせていただきたいと願っています。
ヨハネの福音書17章1~3節
1 イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。
2 それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
3 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
(新改訳第三版)
イエス様は、父なる神様に御子の栄光を現わしてくださるように求めておられます。それは、父なる神様の栄光を現わすためです。イエス様は、自分のことではなく、父なる神様が崇められるように、また、すべての人が恵みによって永遠のいのちを得るように祈られました。また、ここでの祈りは、弟子たちの前で、彼らにも聞こえるように祈っておられます。ですから、弟子たちが知らない永遠のいのちについて、イエス様は祈りの中で説明をしておられます。
永遠のいのちとは、父なる神様からイエス様に与えられたすべての人が、唯一まことの神である父なる神様と、父なる神様から遣わされたイエス・キリストを知ることであると教えてくださいました。知ることと言うのは、知識として知るのではなく、交わりを持つこと、一体となることです。ですから、永遠のいのちは、父なる神様、御子イエス様と一つになることであることがわかります。
すべての人は、罪によって神様から離れ、悪魔の支配下にあります。しかし、父なる神様は、約束された時が満ちたこの時、悪魔に捕らえられている人を解放するため、御子イエス・キリストに、すべての人を支配する権威を与えられました。ただ、人が罪を犯していることは事実ですから、必ず罰を受けなければなりません。本来なら、罪を犯した人は、義なる神様によってさばきを受けなければなりません。ですから、イエス様は、ご自身のいのちを贖いの代価とするという父なる神様のご計画を成就するためにこの世に来てくださいました。
イエス様が「子の栄光」とおっしゃったのは、神の御子が人間の肉体をもってこの地上に生まれ、十字架ですべての人のためにいのちを捨てることで、すべての人の贖いを成就することを意味しています。イエス様は、ご自身が十字架でいのちを捨てる時が近づいたことを弟子たちにはっきりと宣言し、また、贖いが完成して、父なる神様が崇められることを祈り求めておられます。
ヨハネの福音書17章4~5節
4 あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。
5 今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。
(新改訳第三版)
イエス様は、父なる神様の御心をすべて行われました。それによって、神様のすばらしさ、偉大さをすべての人が知り、神様を崇めるようになるためです。そして、いよいよ、この地上でイエス様が行うみわざは、十字架の贖いと復活だけになりました。ただ、この十字架の贖いを行うためには、父なる神様のさばきが必要です。また、復活は父なる神様が、イエス様を義と認めてよみがえらせてくださるみわざです。だからこそ、父なる神様が天地創造の前から持っておられたすべての命を支配する栄光を、イエス様に輝かせる必要があります。
イエス様は、すべての人の贖いのため、父なる神様にご自身の栄光を輝かせてくださるように祈り求め、その御業を通して父なる神様の御名が崇められることを祈っておられます。
ヨハネの福音書17章3節
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
(新改訳第三版)
イエス様が教えてくださった永遠のいのちとは、父なる神様、御子イエス・キリストと交わりを持つことです。また、一つになることです。そのために、与えられるのが聖なる御霊です。永遠のいのちと言われると、死ぬことがなくいつまでも生きる命と考えてしまうかもしれません。しかし、私たちは、いつまでも生きるために何が必要なのかということまで考えていないのではないでしょうか。イエス様は、いつまでも生きるために必要なことを教えてくださいました。
永遠のいのちは、神様から与えられるものです。イエス・キリストが自分の罪を背負って十字架で死んでくださり、墓に葬られて三日目によみがえられたことを信じてイエス様に従うことにより、与えられるものです。ここで、恵みにより信仰によって与えられたことを思い出すとき、信じて従っているイエス様と一つになっている必要があることがわかります。
のどが渇いて死にそうな人にとって、コップ一杯の水も命の水になります。しかし、神様が与えてくださる命の水は、川のように流れ続け、飲むだけでなく泳ぐこともできる水です。私たちに与えられる永遠のいのちは、自分の内に持つものではなく、私たちすべてを包み込むいのちです。
切り捨てられていた枝が、まことのぶどうの木に継がれるように、イエス様と交わりを持つこと、それこそが永遠のいのちです。私たちは永遠のいのちを与えられていることによって、キリストにある御霊の実を実らせることができます。今日、永遠のいのちを与えられていることを覚え、主との交わりを深め、神様の栄光を現わす者にしていただきましょう。