2024年1月14日「神様の愛を受け取ろう」木下淳夫 師

タイトル神様の愛を受け取ろう
聖書ヨハネ5:39~44
説教者木下淳夫師

 今日は、「神様の愛を受け取ろう」というテーマです。

 ヨハネの福音書5章は、ベテスダの池で38年も病で伏せっていた人を、イエス様が安息日にお癒しになったことから、ユダヤ人の指導者がイエス様に対して重大な律法違反を犯したとして敵意を持ち議論をしたことが記されています。そして、今日の個所では、イエス様が、主に仕えていると言いながら、人々から尊敬されたいために、信仰が篤いように見える行いをしていたユダヤ人の指導者たちを、きびしく指摘していることを学ばせていただき、私たちの信仰が当時のユダヤ人のような間違った熱心さになっていないか顧みて、心から主を愛する信仰生活をしたいと願っています。

ヨハネの福音書5章39~40節

39 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。

40 それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。

(新改訳第三版)

 当時のユダヤ人は指導者たちであっても、永遠のいのちを得るにはどうすればよいのかわからずにいました。これは、福音書の中で、何人かの人がイエス様に「神の国に入るにはどうすればいいでしょうか」と質問したことからわかります。ラビたちの中でも最高位にいるニコデモですら、神の国に入る方法を見出すことができずにいました。彼らは熱心に聖書を調べて、律法を守ろうとしていたのですが、聖書がイエス様のことを証していることを信じることができませんでした。また、イエス様を救い主と信じて、イエス様のもとに来るなら永遠のいのちを持つことができ、神の国に入ることができると、イエス様が教えてくださっても、へりくだってイエス様を受け入れることをしませんでした。

ヨハネの福音書5章41~44節

41 わたしは人からの栄誉は受けません。

42 ただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。

43 わたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。

44 互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができますか。

(新改訳第三版)

 モーセの律法が与えられたとき、イスラエルの民は律法を守ることによって永遠のいのちを得ることができると約束されていました。しかし、彼らは律法を完全に守ることはできませんでした。もちろん、律法を守っていた正しい人たちもいたのですが、民族を代表する指導者たちは、主を愛し、隣人を愛することができず、偶像礼拝を行い、人々に対しても不正を行い、最後には主からさばきを受け、国を失うことになりました。

 それでも、神様はイスラエルの民を約束の地であるカナンに連れ戻してくださいました。それほど、神様はイスラエルの民を愛してくださいました。ところが、イスラエルの民、特にユダヤ人の指導者たちは、この神様の愛を受け取ることをしませんでした。

 イエス様は「わたしは人からの栄誉は受けません」とおっしゃいました。この言葉にあるように、イエス様がお受けになったのは、父なる神様から与えられる栄誉だけです。ですから、イエス様は、父なる神様に喜ばれること、神様の御心だけを求めておられました。神様の御心に従うなら、隣人への対応も、愛から出る行いになります。そして、イエス様がなさっていたように、父なる神様の御心を求めることこそ、神の民がなすべきことでした。

 ところが、イエス様は「ただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。」と、当時のユダヤ人の指導者たちが、無条件に注がれている神様のご愛を受け取ることをせず、人からの栄誉、互いの栄誉を受けることを求めていると、きびしく非難されました。

ヨハネの福音書5章42節

わたしはあなたがたを知っています。

(新改訳第三版)

 イエス様は、私たちの心にあるものをご存じです。私たちが何を求めているのか、何を第一としているのか知っておられます。私たちも、当時のユダヤ人の指導者たちのように、人からの栄誉を求めていることはないでしょうか。神様よりも信頼しているものはないでしょうか。もしも、神様以外のものを第一にしていることがあるようなら、自分の内に神様の愛が注がれていることを思い出してください。私たちに与えられた聖霊によって、神様の愛が私たちの心に注がれていることを、みことばから確認してください。そして、それをいつも覚えて感謝して受け取るか、受け取らないかは、私たちが決めることですから、この注がれた愛を、信仰をもって受け取らせていただきましょう。私たちが、神様の愛を受け取り、イエス様が十字架で命を捨ててくださったほどの大きな愛で満たされるなら、私たちは永遠のいのちの確信を持つことができます。神の国の希望をはっきりと持つことができます。イエス様は私たちのことを知っておられます。私たちの内に神様の愛が満たされているのをイエス様が知ってくださるとき、イエス様は喜んでくださり、私たちも喜びが満ち溢れるようになります。