2026年8月9日「成就した主の御心」木下淳夫 師

タイトル成就した主の御心
聖書イザヤ53:7~12
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは、「成就した主の御心」です。

 神様は、ご自身がお創りになった人間を愛しておられます。ですから、すべての人が滅ぶことがないように、救いの道を備えてくださいました。その救いの約束は、罪のない人が、すべての人の罪を背負って身代わりになって罰を受けて、すべての人を赦すということです。しかし、この世の人間はすべて、生まれながらにしてアダムの罪を受け継いでいるため、だれも身代わりになることができません。そこで、まことの神様が人間となってこの世に来られ、罪のためのいけにえとなることを、父なる神様は計画され、それをイザヤに伝えられました。それが、この53章の預言です。

 今日は、この預言がイエス様によって成就したことを学び、私たちがどれほど神様に愛され、恵みを受けているのかを再確認させていただきたいと願っています。

イザヤ書 53章7~9節

7 彼は痛めつけられ、苦しんだ。
だが、口を開かない。
屠り場に引かれて行く羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。

8 虐げとさばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことか。
彼が私の民の背きのゆえに打たれ、
生ける者の地から絶たれたのだと。

9 彼の墓は、悪者どもとともに、
富む者とともに、その死の時に設けられた。
彼は不法を働かず、
その口に欺きはなかったが。

(新改訳2017)

 7節には、すべての人の罪を贖う救い主が、どのような苦しみを受けるのか、その様子が預言されています。この預言には、イエス様が痛めつけられ、苦しみを受けても、決して口を開くことはないということが示されています。普通なら、自分は何も悪いことをしていないのに、責められたなら自分を守るために弁解をします。しかし、イエス様はご自身に何も悪いところはないにもかかわらず、不当に痛めつけられても、ただ、黙ってその痛みや苦しみに耐えておられました。

 この預言には、当時のユダヤ社会ではありえない二つのことが記されています。一つは、イエス様が不当に虐げられたのに、ユダヤの最高議会によるさばきによって死刑が決まったということです。もちろん、議会の審議は不当ではありましたが、ユダヤ人によるさばきが下されたことは間違いありません。

 もう一つのありえないことは、イエス様が二人の犯罪人と一緒に十字架につけられ、その遺体は墓に葬られることなく野ざらしにされるはずだったのに、アリマタヤのヨセフというお金持ちの人の墓に葬られたということです。そのようなありえないことがイエス様の十字架の死という出来事において成就したことで、イエス様がイザヤによって預言されていたキリストであると、当時の人たちは認めることができました。

イザヤ書 53章10~12節

9 彼の墓は、悪者どもとともに、
富む者とともに、その死の時に設けられた。
彼は不法を働かず、
その口に欺きはなかったが。

10 しかし、彼を砕いて病を負わせることは
【主】のみこころであった。
彼が自分のいのちを
代償のささげ物とするなら、
末長く子孫を見ることができ、
【主】のみこころは彼によって成し遂げられる。

11 「彼は自分のたましいの
激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、
その知識によって多くの人を義とし、
彼らの咎を負う。

12 それゆえ、
わたしは多くの人を彼に分け与え、
彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、
背いた者たちとともに数えられたからである。
彼は多くの人の罪を負い、 背いた者たちのために、とりなしをする。」

(新改訳2017)

主のみこころは、イエス様を砕いて、人々の病を負わせることでした。この主の御心を、罪のないイエス様が認めて従い、自分のいのちを代償とするなら、イエス様は神の子たちを末永く見るようになるということを知っておられました。主がご自身の民を贖い、子孫にまで恵みが及ぶという神様の御心は、イエス様によってのみ成就します。

また、自分が苦しむことに満足する人などいないと思いますが、イエス様は、自分の苦しみが救いの約束を成就することを知っておられたので、十字架の苦しみをも耐え忍び、約束が完了したことに満足されました。このように、イエス様がすべての人に罪の赦しを与え義としてくださるのは、父なる神様の御心を知って従う誠実さによることでした。悪魔が荒野で誘惑したような奇跡によることでも、力によることでもなく、知識によることです。そして、イエス様が忠実に御心を行われることに対して、父なる神様は多くの人をイエス様にお渡しになられました。

イエス様が預言されたキリストとして認めることができる、もっとも大きなことは、ご自身に逆らい、ご自身を苦しめる人のために罪の赦しを、父なる神様に祈ってくださったということです。イエス様は鞭を打たれて全身がボロボロでした。また、十字架につけられたことで呼吸ができなくなっていました。しかし、ご自身に逆らいののしり、あざける人々のために、「父よ。彼らをおゆるしください。」と、とりなしの祈りをしてくださいました。

黙って自分の苦しみに耐えているだけでも珍しいことですが、イエス様が逆らう人たちのために、とりなしの祈りをささげられたことによって、ここに預言されている救い主がイエス様であると、人々は確信することができました。

イザヤ書 53章10節

主のみこころは彼によって成し遂げられる。

(新改訳2017)

イエス様は、まことの神様であり、私たちの救い主です。ただ、私たちが礼拝するのは父なる神様であり、祈りも父なる神様に祈るので、イエス様がどのような存在なのか、あいまいになることがあるようです。ここで、覚えなければならないのは、すべての人を罪から救い、滅びから贖うという主なる神様の御心は、人となってこの世に来てくださったイエス様によって成就したということです。そして、父なる神様は、イエス様を救い主と信じた人たちを、イエス様にお渡しになられました。私たちは、大牧者であるイエス様に聴き従う羊としていただいています。ですから、私たちはイエス様の恵みにより乏しいことがなく、平安を受けています。この恵みを覚えてイエス様の御声に聴き従ってまいりましょう。