2025年5月4日「互いに足を洗い合う」木下淳夫 師

タイトル互いに足を洗い合う
聖書ヨハネ13:12~17
説教者木下淳夫師

今日は、「互いに足を洗い合う」というテーマです。

 当時のユダヤは、サンダルのような履物で外出しましたので、外を歩くと足が汚れました。ですから、外から帰ってくると、足を洗う必要がありました。この時、家の主人が帰って来たら、しもべが主人の足を洗いました。

 最後の晩餐と呼ばれる過越しの食事の時、イエス様は弟子たちの先生であり、この食事の主人だったのですが、みんなの足を洗うという、しもべがすべき奉仕をご自身でなさいました。そして、弟子たちに仕える姿を通して、主なる神様のしもべが何をなすべきかを教えておられます。私たちも、イエス様の仕える姿を通して、自分たちがなすべき奉仕についても、どのようにすべきかということを考えたいと願っています。

ヨハネの福音書13章12~17節

12 イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。

13 あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。

14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。

15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。

16 まことに、まことに、あなたがたに告げます。しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。

17 あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行うときに、あなたがたは祝福されるのです。

(新改訳第三版)

 イエス様は、弟子たちの足を洗い終わって、席に着かれました。そして、「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。」と、弟子たちに話されました。もちろん、弟子たちは、イエス様が足を洗ってくださったということはわかります。ですから、ここでイエス様が質問されたのは、「先生であり、主であるわたしが、しもべがすべき奉仕をしたことの意味を理解できますか」ということです。イエス様が、このような質問をされるということは、彼らがイエス様の行動の意味を全く理解できていなかったからです。

 イエス様がペテロの足を洗おうとしたとき、ペテロは断ろうとしました。しかし、イエス様がペテロの足を洗わなければ、ペテロとは何の関係もなくなってしまうとおっしゃいました。このことから、イエス様が弟子たちの足を洗うという行為は、イエス様との霊的な関係を象徴している行いであることが教えられています。人間はだれでも罪に汚れています。しかし、イエス様はその汚れた人をきよめてくださるお方だということを、イエス様ご自身が、弟子たちの足を洗うという行為を通して教えられました。また、イエス様を救い主と信じて罪を洗っていただいた人も、普段の生活の中で罪を犯すことがあるので、それらの罪についても、イエス様に洗っていただく必要があることを、イエス様は教えてくださいました。

 そして、もう一つの真理を、イエス様は示してくださいます。それが、イエス様を信じて従う弟子たちは、兄弟姉妹に対してへりくだって互いに仕え合う関係であるということです。主にある兄弟姉妹が、互いに仕え合うとき、そこには社会的な地位の差や、男女の違いなど関係ありません。主であり師であるイエス様が、自らへりくだって奉仕をしたのですから、イエス様の弟子も、同じようにへりくだって奉仕すべきです。

 そして、イエス様はこのように、互いに足を洗い合うようにお命じになっただけでなく、その奉仕にともなう大切な約束をしてくださっています。イエス様が弟子たちの足を洗ってくださったという行いを知って、自分もイエス様に倣って、互いに足を洗い合うなら、その人は神様から祝福を受けると約束されています。

ヨハネの福音書13章14節

14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。

(新改訳第三版)

 今日、私たちもイエス様がなさったことを覚えましょう。そして、その行動の意味を確認しましょう。

イエス様は、私たちのために、まことの神様であるにもかかわらず、仕えるしもべとなってこの世に来てくださいました。そして、私たちの罪を洗いきよめるために、自ら十字架で命を捨ててくださいました。イエス様の十字架の血潮のほか、私たちの罪をきよめることができるものはありません。すべての人は、イエス様の十字架によって救いを受け、イエス様の恵みによって神様の子どもとされます。また、イエス様の弟子として、イエス様のように成長することができます。ですから、私たちは、イエス様がなさったように、へりくだって、兄弟姉妹の足を互いに洗い合うこと、つまり、互いに仕え合うように命じられています。その奉仕には、日常の支えだけでありません。罪を犯している兄弟がいるのなら、イエス様が罪を洗いきよめてくださることを覚えて、それを互いに戒めることも必要です。すべては、兄弟姉妹が神の家族として、愛と平和をもって、成長することができるようになるためです。そのために、私たちは、まず、イエス様が奉仕をしてくださった姿に目を留めましょう。そして、そのイエス様の愛を受け取り、きよめを受け取って、互いに足を洗い合い、神様の祝福に与りたいと願います。