
タイトル | キリストとともに生きる |
聖書 | ローマ6:4~11 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは、「キリストとともに生きる」です。
イースターは、イエス様の復活を記念してお祝いしていますが、このイエス様の復活が私たちにどのような関係があるのか、みことばを通して学ばせていただきましょう。そして、私たちが神様の恵みにより、信仰によって新しい人生に変えられていることを喜びたいと願っています。
ローマ人への手紙6章4~7節
4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。
6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。
7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。
(新改訳第三版)
イエス様を信じた人は、父・子・聖霊の御名によってバプテスマを受けます。バプテスマは一つになることを意味しますので、このバプテスマは、父・子・聖霊なる神様と、一つになることを象徴しています。そして、パウロは、一つになると言うことをさらに詳しく述べています。パウロは、イエス様を信じると、イエス・キリストが十字架で死んで復活されたように、信じた人もイエス様と一緒に十字架で死んで復活すると教えています。
順番に見ていきましょう。イエス様を信じて受けるバプテスマは、キリストの死にあずかるバプテスマであると、パウロは言っています。つまり、キリストの十字架の死と一つになること、自分もイエス様といっしょに十字につけられて死んだことを示しています。
私たちは、自分が十字架につけられたわけではないので、そのようなことを信じられないかもしれません。しかし、この約束をしてくださったのは神様です。神様がイエス様の十字架の死と復活が自分のためであると信じるなら、その人は、イエス様と一緒に十字架で死んで、イエス様と一緒によみがえった者としてくださると定めてくださいました。そこには、私たちがどのように感じるかということは関係ありません。
パウロは、神様が信じた人に死を与えられたことについて教えています。神様が、イエス様を信じた人を、イエス様と一緒に十字架につけられた者としてくださったのは、罪を犯していた古い人、罪にけがれた体が死ぬことによって滅び、罪の奴隷から解放されるためです。奴隷も生きている間は、主人に仕えなければなりませんが、死んでしまうと主人との関係は絶たれます。そのように、罪の奴隷となって、滅びに向かっていた古い人が、罪から解放されるためには、死んでしまう必要があります。そのために、神様は私たちの古い体を、イエス様と一緒に十字架につけて死んだものにしてくださいました。
ローマ人への手紙6章8~11節
8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。
9 キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。
10 なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。
11 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
(新改訳第三版)
イエス様を信じた人は、キリストとともに死んでいます。そして、キリストとともに生きることになります。キリストとともに生きるということは、キリストが死者の中からよみがえって、もはや死ぬことがなく、死がキリストを支配しないように、イエス様を信じた人も同じように、死の支配から解放され、もはや死ぬことがないということを意味しています。私たちは罪に支配されていましたから、その結果として、やがて肉体は弱って滅びます。しかし、イエス様の復活にあずかった人の霊は、第二の死に支配されることがありません。永遠の滅びに定められることがありません。
そのように、イエス様の十字架の死と復活にあずかるバプテスマを受けた人は、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だということを覚えなければなりません。
ローマ人への手紙6章8節
もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。
(新改訳第三版)
イースターは、イエス様の復活を喜び祝う日です。なぜなら、イエス様を信じる人も、イエス様とともに十字架で死んだだけでなく、イエス・キリストとともに永遠に生きる者にされたからです。私たちは、いままで罪の束縛の中で、自分がしたいと思う良いことを行うこともできず、良心の呵責に苦しむこともありました。しかし、イエス様を信じたことにより、古い人はイエス様とともに十字架につけれて死んで葬られました。そして、イエス様の復活に与り、私たちも新しい命をいただいて、神様とともに生きる者にしていただきました。
私たちは、自分では自覚していないかもしれませんが、神様の約束によって新しい人生に迎え入れられていることを覚えましょう。そして、その新しい命をいただいて歩む人生が、どれほど愛と希望に満ちているのかを、この約束をしてくださっている神様ご自身から聞く必要があります。聖書は、その約束が記されている書物です。聖書を通して、イエス様とともに生きる人生が、どれほど祝福に満ちているのかを教えていただきましょう。そして、一人ひとりが神様の約束にかたく立って、キリストと共に生きる人生のすばらしさを体験してほしいと願っています。