2025年3月23日「この世のさばきの時」木下淳夫 師

タイトルこの世のさばきの時
聖書ヨハネ12:27~36
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは、「この世のさばきの時」です。

 この世のさばきというと、イエス様の再臨を思い起こします。イエス様が再臨される時、イエス様を信じた人はさばきを受けることがありませんが、信じない者はさばきを受けることになります。これと同様に、十字架と復活による新しい契約がなされる前にも、イエス様をキリストと信じる者はいのちを得、信じない者はさばきを受けるという約束が、イスラエルの民に与えられていました。

今日は、このイエス様の十字架の前の、さばきの時を覚え、私たちも再臨の備えをしたいと願っています。

ヨハネの福音書12章27~34節

27 今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。

28 父よ。御名の栄光を現してください。」そのとき、天から声が聞こえた。「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」

29 そばに立っていてそれを聞いた群衆は、雷が鳴ったのだと言った。ほかの人々は、「御使いがあの方に話したのだ」と言った。

30 イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためにではなくて、あなたがたのためにです。

31 今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。

32 わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」

33 イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのである。

34 そこで、群衆はイエスに答えた。「私たちは、律法で、キリストはいつまでも生きておられると聞きましたが、どうしてあなたは、人の子は上げられなければならない、と言われるのですか。その人の子とはだれですか。」

(新改訳第三版)

 イエス様がエルサレムに入城されたとき、イエス様に敵対した人もいました。そのように敵対していた群衆は、イエス様を捕らえようとして、側まで来ました。今までは、神様の御心ではなかったので、イエス様は捕らえられることはありませんでしたが、いよいよ彼らに捕らえられて十字架に架けられる時が近づいていることを、イエス様はご存じでした。

ですから、イエス様は十字架の死を前にして心が騒ぎ、すべての人の罪を背負うことによって父なる神様との関係が断たれることを恐れました。しかし、イエス様は、この十字架こそ神様のご計画であり、このご計画を成就するためにご自身がこの世に来られたことを再確認して、父なる神様が群衆に対して栄光を現わしてくださることを求められました。

すると、父なる神様は、天から御声を発せられました。この御声が聞こえたのは、イエス様が神の御子キリストであることを、群衆が知り、彼らが悔い改めるためです。しかし、イエス様の側に立っていて、その御声を聞いた群衆は、雷が鳴ったと言ったり、御使いがイエス様に話したのだと言ったりして、イエス様を神の御子と信じることはしませんでした。イエス様は、神様の御声が聞こえたのは、今がこの世のさばきのときであり、この群衆が自分たちの罪を悔い改めるためだとおっしゃいまいた。

そして、イエス様は、ご自身が十字架に上げられ、いのちを捨てることで、イエス様を信じるすべての人の罪を赦し、イエス様に仕えたいと願うすべての人を御許に引き上げると約束されました。しかし、イエス様に敵対する群衆は、律法には、キリストは、とこしえにダビデの王座に着くとありますから、いつまでもこの世におられると主張し、死のうとしておられるイエス様は、キリストではないと訴えました。

ヨハネの福音書12章35~36節

35 イエスは彼らに言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。

36 あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」イエスは、これらのことをお話しになると、立ち去って、彼らから身を隠された。

(新改訳第三版)

イエス様は、「今がこの世のさばきです」とおっしゃったように、父なる神様の御声が聞こえ、イエス様がキリストであることが明らかにされたこの時は、悔い改める最後のチャンスでした。ですから、彼らが人の子とは誰なのかと質問しても、イエス様はそのことに答えることはなさいませんでした。そして、過越しの祭りまでの残された数日の間に、光であるイエス様をキリストと信じるように命じられました。なぜなら、この世の支配者は追い出され、悪魔の支配に従っていた人たちもさばきを受けることになるからです。

ヨハネの福音書12章36節

あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。

(新改訳第三版)

 イエス様は、さばきの時が訪れた時でも、残されたわずかな間に、光であるイエス様を信じなさいと命じられました。光であるイエス様を見ないで、暗闇の中にとどまり、この世の支配者である悪魔に従っていたのなら、自分がどこに行くのかもわからず、最後には永遠の滅びに至ってしまいます。このような悲劇に見舞われることがないように、イエス様は光がある間に、救いを得るように命じられました。

今、私たちがいる時代は、異邦人である私たちにも救いの御手が差し伸べられている恵みの時です。しかし、この恵みの時がいつ終わるのか誰も知りません。だからこそ、イエス様の福音を聞くことができる今こそ、私たちは、へりくだってみことばに耳を傾け、イエス様に聞き従わなければなりません。そして、イエス様が、残されたわずかな時間でも、救いの福音を語られたように、私たちも福音を宣べ伝えなければなりません。

 当時のパリサイ人たちは、自分たちの知識をもとに、キリストはいつまでも生きてこの地上にいると考えて、イエス様を信じようとしませんでした。私たちも、自分の知識を優先して、みことばに逆らうことがないように注意しましょう。そして、素直にみことばに聞き従う光の子どもとして、歩んでまいりましょう。