タイトル | 聖きをまっとうする |
聖書 | 2コリント7:1~4 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「聖きをまっとうする」というテーマです。
パウロは、コリントの信徒たちが、罪の誘惑に陥りそうになっていたことを知りましたが、彼らのもとにすぐに駆けつけることはできませんでした。そのような苦しさを抱えていても、パウロは慰めを受け、喜びにあふれていました。今日は、そのようなパウロの信仰を学び、みことばに従いたいと願っています。
コリント人への手紙第二7章1節
1 愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。
(新改訳第三版)
信徒が神様から与えられている約束は、コリント人への手紙第二6章16〜18節に記されている約束です。旧約聖書に、この聖句そのままが書かれているのではありません。レビ記、エゼキエル書、イザヤ書、第二サムエル記から引用し、つないで引用しています。
コリント人への手紙第二6章16〜18節
わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。
(新改訳第三版)
パウロが、いろいろな箇所の聖句を抜き出して、引用して教えていることは、まず、神様が信徒と一緒に住んでくださるということです。父なる神様は、罪の中に死んでいた人々に御目をとめてくださいました。そして、お選びになった人を、イエス・キリストの十字架の血潮によって罪を赦し、神様の子どもにしてくださいました。これは、私たちが神様を愛し、良い行いをしたからではなく、神様が私たちを愛してくださったからです。一方的な神様の恵みにより、神様は私たちの間に住んでくださるという、驚くような恵みを約束してくださいました。
だからこそ、神様を認めず罪を犯し続ける人々の中から出て、汚れた行いから分離するように命じられています。そして、そのように汚れを離れるなら、まことの神様が、父となってくださり、信徒は息子、娘となるという、他の国の神々では、考えられないような親しい愛の関係を築くことができると約束されています。このような約束があるからこそ、パウロはこの世の一切の霊肉の汚れを離れ、自分自身を清潔に保ち、神様を恐れかしこんで、神様の子どもにふさわしい、神様が喜ばれる行いをするように勧めています。
コリント人への手紙第二7章2〜4節
2 私たちに対して心を開いてください。私たちは、だれにも不正をしたことがなく、だれをもそこなったことがなく、だれからも利をむさぼったことがありません。
3 責めるためにこう言うのではありません。前にも言ったように、あなたがたは、私たちとともに死に、ともに生きるために、私たちの心のうちにあるのです。
4 私のあなたがたに対する信頼は大きいのであって、私はあなたがたを大いに誇りとしています。私は慰めに満たされ、どんな苦しみの中にあっても喜びに満ちあふれています。
(新改訳第三版)
コリントの信徒の中のある人たちは、パウロを認めず、他の教えに従うようになっていました。使徒であるパウロを認めないということは、パウロに権威を与えて遣わしたイエス様を認めないことと同じです。そのような大きな過ちを犯している人々に対して、パウロは懸命に説得しています。もちろん、自分を認めて欲しいというのは、彼らが神様の子どもとして、キリストの弟子として、恵みを受けて生きて、成長して欲しいと切実に願っているからです。
パウロは、たとえ自分のことを認めない人たちが、パウロに反抗していても、パウロは彼らを責めることはしません。それどころか、パウロは彼らを大いに信頼し、誇りとしていました。住んでいるところは離れていても、彼らと一緒に主を仰いで、主に従って生きることが、パウロにとっては慰めであり、どんな苦しみの中にあっても喜びとなりました。それは、パウロが福音を伝えた時、彼らが大いに喜び、心から悔い改めてイエス様を心にお迎えしたことを、パウロ自身がよく知っていたからです。
今、一緒に会堂に集って礼拝することができないという、教会にとって大きな試練の時です。しかし、このような顔を合わせて交わりを持つことができないときだからこそ、コリントの教会が大変な時に、簡単に会いに行くことができなかったパウロの気持ちを深く知って、学ぶことができます。
パウロは、本当なら飛んで行って彼らを助けたいと思ったことでしょう。しかし、それができない苦しみの中でも、慰めを受け、喜びに満ち溢れていました。なぜなら、パウロは兄弟姉妹をいつも心にとめていたからです。同じイエス・キリストの恵みによって神様の家族とされた信徒一人ひとりと、ともに死に、ともに生きるために、パウロは今いる場所は違っても、彼らを覚えて、彼らを守り祝福してくださる神様を礼拝していました。
そのように、私たちも兄弟姉妹を心にとめて、一緒にこの困難を乗り越えてまいりましょう。そして、パウロが勧めたように、この世の汚れから離れて、それぞれの場所で、神様を恐れかしこんで、神様の子どもとして聖きをまっとうしていきたいと願います。