2022年11月27日「成就するための降臨」木下淳夫 師

タイトル成就するための降臨
聖書マタイ5:17~18
説教者木下淳夫師

 今年のクリスマスは、神様に選ばれ遣わされた救い主、イエス様がどのような目的で来られたのかを学び、イエス様によってもたらされた恵みを再確認したいと願っています。

 そして、今日は、「成就するための降臨」というテーマで、イエス様が律法を成就するために来られたということを学び、聖書のみことばが真実であることを覚え、みことばに立って希望を持ちたいと願っています。

マタイの福音書5章17〜18節

17 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。

廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。

18 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、

律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。

全部が成就されます。

(新改訳第三版)

 イエス様が人々に神の国について語られた時、人々はイエス様が語られることに驚きました。それは、当時のラビたちが、権威あるラビたちの言葉を引用して教えていたのに対し、イエス様はご自分の言葉で教えておられたからです。イエス様は、人々に親しみの例えを用いて神の国について語られましたから、民衆にとってわかりやすく、ラビたちにとっては、新しい教えのように考えられました。ですから、ラビたちの中にはイエス様が、昔から語り継がれている律法の教えや、預言者たちを通して語られた神様のみことばを廃棄して、新しい教えを広めようとしているのではないかと考える人もいました。それに対して、イエス様は、ご自身が決して律法や預言者を廃棄するために来られたのではなく、成就するために来られたとおっしゃいました。しかも、律法は天地が滅び失せない限り、その一つも廃れることはない、律法は必ず成就するのだとおっしゃいました。

 律法や預言者というの、今私たちが手にしている聖書でいうなら、旧約聖書を指しています。そして、旧約聖書の大きなテーマは、すべての人の救いです。アダムの罪のために、神様のみもとを離れたすべての人は、自分勝手な生き方をして、そのままでは最後の審判の時に神様の御怒りを受けて永遠の滅びに至ってしまいます。そのような最悪の結末を知らずに生きている人々を、救い出すために神様はイスラエルの民をお選びになり、律法や預言者を通して、神様の御心を教え、救いの道を指し示してくださいました。ところが、人間は罪を持っているために、神様のみこころを完全に行うことができません。イスラエルの民は、律法や預言者を通して語られた戒めを、守ることができず、神様の約束は成就されないものもありました。確かに、現代においても成就されていない約束のみことばも存在しますから、聖書の約束を疑う人がいるかもしれません。ユダヤ人が世界中に離散し、イスラエルが国を失っていたときなど、神様はご自身の民を、お見捨てになった、約束は守られなかったと考える人がいたかもしれません。ところが、神様は約束通り、イスラエルの民を世界中から連れ戻し、国を再建してくださいました。そして、今もなお多くの人が世界中からイスラエルへ帰還しています。神様は人間には不可能と思えるような約束も、成就してくださるお方であることを、私たちは歴史的な事実を通しても確認することができます。イエス様は律法に記された戒め完全に守り、神様の祝福がどれほど素晴らしいものであるのかを人々に示すためにこの世に来られました。そして、すべての人を滅びから救う道を開くという約束を成就してくださいました。

マタイの福音書5章17節

わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。

廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。

(新改訳第三版)

 私たちが信仰の拠り所としている聖書は、イエス様がおっしゃったように、天地が滅び失せない限り、決してすたれることはありません。ですから、教会が誕生してから、2000年ほどになりますが、現代に至るまで聖書の教えは変わることがありません。そして、旧約聖書に約束されている救いの約束は、イエス様によって成就され、地の果てまで福音が宣べ伝えられています。イエス様は、ユダヤ人としてこの地に来られましたが、すべての人を救うという神様の約束を成就するために、十字架で命を捨ててくださり、三日目によみがえり、イエス様を救い主と信じて従う人に、永遠の救いを約束してくださいました。

 アドベントのこのとき、覚えていただきたいのは、イエス様が再びこの地上に降臨されるとき、イエス様は、ご自身に敵対する人たちをさばき、従う人たちに平安を与えてくださるということです。そのとき、喜んでイエス様をお迎えすることができるように、約束された聖書のみことばを、心に蓄えて待ち望んでいきたいと願います。