タイトル | 羊飼いと羊の関係 |
聖書 | ヨハネ10:1~6 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは「羊飼いと羊の関係」です。
詩篇23篇では、ダビデが「主は私の羊飼い」と告白しています。また、他の個所でも、弱い人間は、迷いやすい羊としてたとえられ、神様が羊飼いとして養ってくださることが記されています。イエス様も、羊飼いと羊の関係を通して、イエス様と人々との正しい関係を教えてくださっています。私たちも、このたとえから学び、羊飼いであるイエス様の御声に従っていきたいと願っています。
ヨハネの福音書10章1~2節
1 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。
2 しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。
(新改訳第三版)
羊飼いたちは、冬の夜、石垣で作った羊の囲いに羊の群れを入れていました。この羊の囲いは、いくつかの羊の群れが一緒に入れられていました。この石垣で造られた囲いには一か所だけ門が作られていて、羊たちはその門から中に入りました。そして、門番がその門を守っていました。この門番ですが、羊飼い自身が、門の前で寝て、羊が夜の間に迷い出ることがないように、また、外敵が中に入ってこないように守っていたそうです。また、周囲の石垣にはいばらがあり、簡単には囲いの中に入ることができないようになっていました。
イエス様は、羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗であるとおっしゃいました。そして、門から入る者は、その羊の牧者であるとおっしゃいました。もちろん、当時の人たちの多くは、イエス様がおっしゃったことがすぐにわかりました。なぜなら、羊飼いたちの生活がどのようなものか、多くの人たちは知っていたからです。しかし、イエス様はこの羊の囲いを、イスラエルの民のたとえとして語られました。
イスラエルの民は、羊飼いである主ご自身によって守られていました。しかし、多くの敵が羊であるイスラエルの民を滅ぼそうとしました。その中には武力によって攻めて来る者もありましたが、羊飼いのふりをして、イスラエルを惑わす者もありました。イエス様は、パリサイ人たちが、イスラエルに入り込み、人々に偽りの律法を教えていることを、羊の囲いにほかの所から入ってくる盗人であると非難しておられます。イエス様は、旧約聖書に記された預言を通して、イスラエルに来られたお方です。つまり、主が定められた約束の門を通って来られたお方です。しかし、パリサイ人たちは自分たちが勝手に作った口伝律法を用いてイスラエルの民を教えようとした盗人であり、強盗だとイエス様はおっしゃいました。
ヨハネの福音書10章3~6節
3 門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。
4 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。
5 しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」
6 イエスはこのたとえを彼らにお話しになったが、彼らは、イエスの話されたことが何のことかよくわからなかった。
(新改訳第三版)
イスラエルを門番として守っておられたのは、聖霊なる神様です。霊的な攻撃を聖霊様が防ぎ、イスラエルの民が神の民として、約束の地で生きていくことができるように助けてくださっていました。そして、イエス様は約束のキリストとして、羊飼いとして正しい道を通ってイスラエルの民の所へ来てくださいました。そして、ご自身の民を招かれました。そのイエス様の招きに応えた人たちはイエス様に従いました。イエス様に目を開いていただいた人は、まさにイエス様の羊です。彼はパリサイ人たちの声には耳を貸さず、ただイエス様の御声に聴き従いました。
パリサイ人たちは、イエス様の羊ではなかったので、イエス様の御声を聴くことができず、このたとえも理解できませんでした。
ヨハネの福音書10章3~4節
門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。
彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。
(新改訳第三版)
羊飼いであるイエス様は、ご自身の羊である人々をすべてご存じです。そして、その人を名前を呼んで、この世の暗闇から連れ出してくださいます。そして、イエス様は救い出した人々を追い立てることなく、ご自身が先頭に立って安全に道へと導いてくださいます。イエス様は、私たちにさまざまな試練をお与えになることがありますが、いつも「わたしに従ってきなさい」とおっしゃってくださり、私たちの前を歩んでくださいます。私たちは、自分一人で苦しんでいると思って、絶望することがあるかもしれませんが、私たちの前にはいつもイエス様が歩んでくださっているのであり、決して一人で試みにあっているわけではありません。
羊は、自分の羊飼いの声を知っていて、羊飼いの声に聴き従います。そのように、私たちもイエス様の御声をしっかりと聴きましょう。そのために、イエス様の声を覚えなければなりません。聖書のみことばから、イエス様が語られるみことばを聞き、この世の偽りの言葉に惑わされないようにしなければなりません。特に、聖書のみことばを悪用するような誘惑には注意しましょう。パリサイ人たちのように、聖書を用いて自分の教えを正当化させ、自分に従わせようとする人々に惑わされないようにしましょう。
今日、私たちもダビデのように、主イエス様を「私の羊飼い」であると告白し、イエス様の御声を聞いて、イエス様に従ってまいりましょう。