2024年9月29日「いのちに至る門」木下淳夫 師

タイトルいのちに至る門
聖書ヨハネ10:7~10
説教者木下淳夫師

今日のテーマは「いのちに至る門」です。

 いま、つるぎ町でロールプレイングゲームを作っています。私も子どもの頃はよく、ドラゴンクエストなどのロールプレイングゲームをしました。プレーヤーの選択によって、ゲームを進めていくのですが、間違った選択をすれば、先に進むことができません。ですから、その場面をよく見て、良く考えて正しい選択をしなければなりません。

ゲームなら、まだやり直しがききますが、私たちの人生、特に永遠のいのちにかかわる選択をするときは絶対に間違うわけにはいきません。ですから、私たちは聖書を通して永遠のいのちを得る選択ができるようにしていきましょう。

ヨハネの福音書10章7~10節

7 そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。

8 わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼らの言うことを聞かなかったのです。

9 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。

10 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

(新改訳第三版)

 神様はどの時代でも、イスラエルの民を導く人をお選びになっていました。しかし、この当時イスラエルの王も、神様がお選びになった人物ではなく、ローマ皇帝に任命されたヘロデであり、宗教的な指導者のリーダーである大祭司すら、ローマ皇帝の意のままにされていました。ですから、イスラエルの民は、神様の恵みによって守られてはいましたが、彼らの信仰は、形式的なものになっていました。このように、神様の羊であるイスラエルの民は、神様の守りという囲いの中にいても、羊飼いのふりをしてやってくる盗人や強盗に襲われて、信仰を失い、永遠のいのちを失う危険性がありました。そのような滅びの危機から民を救うために、イエス様はイスラエルの牧者として、この世に来てくださいました。

7節で、イエス様はパリサイ人たちに、「わたしは羊の門です」と宣言しておられます。羊飼いたちは、羊の囲いに自分の羊を入れると、その門の前に座り、羊が夜の間に出て行かないようにしました。つまり、自分が囲いの門、あるいは扉となって羊を守り、また、羊を牧草地に導きだしていました。そのように、イエス様は、ご自身が羊の門であり、羊を守り養う者であると宣言されました。

イエス様が、ご自身を門であると宣言されたのは、羊を滅びに至らせるパリサイ人たちに対するきびしい非難を示すためです。イエス様が来られる前に、イスラエルの民を指導していたパリサイ人、律法学者たちは、律法を正しく教え、守るように指導することによって、人々を天の御国へ導くという大切な役目を担っていました。しかし、彼らは律法をゆがめ、自分たちの地位を守ることを優先しました。彼らは主を愛するのではなく、この世を愛しました。そのために、イスラエルの民は、彼らによって滅ぼされそうになっていました。

イエス様は、パリサイ人、律法学者たちを、盗人で強盗であると非難されました。神様のみことばを正しく聞いて従おうとする人たちは、彼らの言うことを聞きませんでしたが、多くの人は惑わされ、命を失う危機に直面していました。

イエス様は、そのような危機に直面しているイスラエルの民を救うために、この世に来られ、ご自身が門となってパリサイ人や律法学者たちの偽りの教えから民を守り、いのちの道を人々に開いてくださいました。イエス様は、「だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」とおっしゃってくださり、滅びからの救いを約束してくださいました。

ヨハネの福音書10章10節

わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

(新改訳第三版)

イエス様が来られたのは、羊がいのちを得るためです。また、そのいのちは豊かないのちです。当時のイスラエルの民は、偽りの教えによって盗まれ、殺され、滅ぼされる危険にさらされていました。現代の私たちも、さまざまな教えに惑わされ、暗闇に閉ざされています。創り主を認めない教えは、自分の存在を認められなくなります。また、人生に意味を見出せなくなり、死後の恐怖から希望を失うことになります。教会においても、偽りの教えによって、自分が罪の束縛から抜け出せないものだと思い込み、自由を得ることができない人たちもいます。

イエス様は、そのような苦しみの中にいる私たちのために、この世に来てくださいました。イエス様はご自身を通るすべての人、イエス様を信じる人を救い、いのちを得ると約束してくださいました。そのいのちは、ただ生きているだけといういのちではありません。豊かないのちです。神様の愛に満たされ、喜びと希望、平安に満ちたいのちです。イエス様を信じて、イエス様の御声に聴き従うなら、この豊かないのちを持つ者にされます。

イエス様を信じた皆様は、この恵みを受けていることを、今日のみことばから再確認してください。もしも、イエス様を信じたのに、希望がないとか、平安がないというのなら、もう一度みことばに立ち返り、私たちの門であるイエス様の御前に集わせていただき、安らかに出入りさせていただきましょう。