
タイトル | 良い牧者であるイエス様 |
聖書 | ヨハネ10:11~15 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは、「良い牧者であるイエス様」です。
イエス様はご自身が盗人や強盗から、イスラエルの民を守る門であるとおっしゃいました。それに続いて、ご自身がイスラエルを救い、彼らをいのちに導く羊飼いであることを宣言しておられます。今日は、羊飼いであるイエス様が、パリサイ人たちと決定的に違っているところを覚え、私たちに注がれているイエス様の愛と恵みを感謝したいと願っています。
ヨハネの福音書10章11~13節
11 わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。
12 牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。
13 それは、彼が雇い人であって、羊のことを心にかけていないからです。
(新改訳第三版)
イエス様は、ご自身が良い牧者であると宣言されました。そして、良い牧者と牧者ではない雇人の違いを説明してくださいました。ダビデは、獅子や熊に羊の群れが襲われたときでも逃げることなく、その獣を打ち殺したとサウルに語っていました。このように良い牧者は、命を懸けて自分の羊を守ります。しかし、雇人は群が襲われても、自分の命を優先します。自分が預かっている群に、狼が来るのを見ると、羊を守ることをせず、自分だけ逃げてしまいます。そのような牧者ではない人は、見た目には羊の世話をしているようですが、羊のことを心にかけることがなく、自分を第一に考えています。
パリサイ人たちは、イスラエルの民を導く働きをゆだねられていましたが、羊飼いが自分の群を命がけで守り、その羊を養うように、イスラエルの民を守り、神の国に導くことはしませんでした。それどころか、彼らは、イスラエルの民が主を愛することを教えることもなく、イスラエルを霊的に堕落させていました。狼によって群が奪われ、散らされるように、イスラエル民が、霊的に主から散らされているにもかかわらず、彼らは無関心で、自分の命を守ることだけに心を向けていました。
ヨハネの福音書10章14~15節
14 わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。
15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。
(新改訳第三版)
イエス様は、そのようなパリサイ人たちとは異なります。イエス様は良い牧者です。イエス様は、羊飼いが自分の羊をよく知っているように、ご自身の民を一人ひとりご存じです。また、イエス様の羊、神様に選ばれた人たちは、イエス様のことを知っています。ですから、人々はイエス様の御声に聴き従います。
たとえ、この世がイエス様に従う人を惑わし、イエス様から引き離そうとしても、また、迫害することがあっても、イエス様の羊である人々は、イエス様に従って歩みます。なぜなら、イエス様が、自分の羊飼いであり、イエス様がいのちを与えてくださるお方、いのちに導いてくださるお方であることを知っているからです。このイエス様と人々との関係は、父なる神様とイエス様の関係と同じであるとイエス様は教えておられます。父なる神様がイエス様を知っておられ、イエス様が父なる神様を知っておられるというのは、全人格における交わりを持っているということです。もはや別々の存在ではなく、一体であるということです。父なる神様と、イエス様が一つであるように、イエス様は、ご自身の民を自分自身とひとつとしてくださいます。また、ご自身のいのちを捨てるほどに愛しておられるとおっしゃってくださいました。
ヨハネの福音書10章14節
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。
(新改訳第三版)
イエス様は、ご自身の民のために、十字架でいのちを捨ててくださいました。良い羊飼いは、羊を自分自身のように愛し、命がけで群を守り養います。そのように、イエス様は、ご自身のいのちをもって、私たちの罪を贖い、私たちに永遠のいのちを与えてくださいました。そして、イエス様を救い主と信じた民、イエス様の羊となったすべての人を、御霊によりご自身と一つにしてくださいます。私たちは、それほどまでにイエス様に愛されています。また、引き離すことができないように一つにされています。
しかし、この世は神の民を惑わそうとします。パリサイ人たちがイスラエルの民を惑わしたように、私たちの周りにもさまざまな教えによって、誘惑によって、私たちを愛し、十字架でいのちを捨ててくださったイエス様から目を離させようとします。私たちの敵である悪魔は、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。ですから、主のみことばを疑うことなく、イエス様の御声に聴き従いましょう。この恵みを覚えるとき、私たちはどのような誘惑があっても負けることがありません。