タイトル | 今は恵みの時、今は救いの日 |
聖書 | 2コリント6:1~10 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「今は恵みの時、今は救いの日」というテーマです。
コロナ禍により、当たり前にできていたことができなくなり、あらゆることが神様の恵みであったことを、皆さんも再確認したことと思います。今日は、そのような神様の恵みをむだに受け入れることがにようにと懇願するパウロが語るみことばに耳を傾け、この恵みの時をむだに過ごすことがないようにしたいと願っています。
コリント人への手紙第二6章1〜2節
1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
(新改訳第三版)
コリントでは、神様の恵みを受けて、神様の子どもとされた信徒が、まちがった教えに惑わされて真理から離れそうになっていました。ですから、パウロは、自分がイエス・キリストから権威を授けられ、遣わされた使徒であることを証明し、自分が伝えた真理のみことばに、すべての信徒が立ち返ることを切実に願っていました。神様が、滅びに向かっていた者に御目をとめてくださり、イエス・キリストの恵みによって救ってくださったのに、また罪を犯す生活に逆戻りするようなことがないように、パウロは神様の恵みを無駄にしないように懇願しています。
そして、「私は、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」という、イザヤ書49章8節のみことばを引用しました。「恵みの時」は、「受け入れてくださる時」という意味です。罪を犯して神様からの罰を受けた民を、神様は、永遠に苦しめるのではなく、心から悔い改めた人々を、再び主の民として受け入れて、救ってくださるという約束です。
パウロは、この預言がイスラエルの民だけでなく、異邦人にも成就し、コリントの信徒も、恵みを受け救いに与ったのだと教えています。
コリント人への手紙第二6章3〜10節
3 私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまづきを与えないようにと、
4 あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、
5 また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、
6 また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、
7 真理のことばと神の力により、また、左右の手に持っている義の武器により、
8 また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、
9 人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、
10 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。
(新改訳第三版)
神様の恵みによって救いを受けたにもかかわらず、偽りの教えに惑わされることがないように、パウロは自分を神のしもべとして推薦しています。さらに言うなら、自分はイエス・キリストの弟子として、使徒として、イエス様と同じ心を持って、人々に仕え、福音を伝えていると語っています。だからこそ、パウロが伝えたみことばを受け入れ、神様の子どもとして、キリストの弟子として立派に成長して欲しいとパウロは願っています。
パウロが使徒として奉仕は、非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの連続です。それでも、パウロはイエス様がすべての人のために十字架をしのばれたように、人々を愛して福音を伝え続けました。伝道している中で、その地の人々の反感を買い、不当に鞭で打たれることもありました。牢屋に入れられたこともありました。パウロに対して怒りを燃やした人々が暴動を起こしたこともありました。生活に困ることもありました。きびしい中で働かなくてはならないこと、また、眠ることができないこと、食べることができないこともありました。それでも、パウロは純潔と知識、寛容と親切、聖霊と偽りのない愛、真理のことばと神様の御力によって、また、義の武器によって、宣教の働きを続けました。
その働きを通して、褒められることもありました。逆にそしられることもありました。悪評を受けたり、好評を博したり、受け入れられることもあれば、拒絶されることもありました。それでも、パウロは変わることなく、自分を神様のしもべ、キリストの使徒であることを人々に示しました。それは、人々がパウロに従うようになるのではなく、パウロに和解のことばを授けてくださった、神様を認めて救いを得るためです。
パウロの働きは、目に見えるところと、真実が全く異なっていました。それは、目に見える肉体と、目に見えない霊が異なっているからです。パウロの肉体は、傷んだ幕屋のようでしたが、霊的には日々新しくされていました。だからこそ、パウロは困難な伝道が続いても、人々によく知られ、生き続け、殺されることなく、いつも喜び、多くの人を富ませることができました。パウロは、そのように神様から遣わされているからこそ、すべてのものを持っていました。
今日、私たちは、キリストの使徒として、困難を生き抜き、いつも喜び、多くの人を富ませてきたパウロが懇願したことを覚えましょう。神様の恵みをむだに受けないようにしましょう。今はイエス・キリストの恵みにより、すべての人が福音を聞くことができる時代です。そして、救いに与ることができる時代です。神様がすべての人を受け入れてくださっている時代です。しかし、この恵みは当たり前ではありません。ですから、神様がくださる恵みをむだに受けないようにしましょう。そして、この恵みの時、救いの日にパウロが、キリストの弟子として、キリストに従ったように、私たちもイエス様に従い、神様の愛に満たしていただき、そのすばらしい愛を、たくさんの人々に伝えていきたいと願います。