タイトル | 主の御前に立つ希望 |
聖書 | コリント人への手紙第二 4:7~18 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「主の御前に立つ希望」というテーマです。
聖書はとても長いので、説教では一部分を取り出していますが、文脈を考えて解釈することが大切です。今日の箇所は、パウロが使徒にふさわしくないという人たちへの反論です。ですから、この手紙を読むときに「私たち」と書いてあるのは、パウロと彼の同労者を指していることに注意しましょう。そして、パウロが使徒として、どのような奉仕をしてきたのかを学びましょう。そのパウロの使徒としての奉仕を通して、私たちも同じ信仰を与えられた者として、神様の約束を握って希望を持ち、まだ、イエス・キリストを知らないで絶望している人たちに、福音を伝えたいと願っています。
コリント人への手紙第二 4章7〜12節
7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。
12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
(新改訳第三版)
「この宝」は、キリストの御顔にある輝きを指しています。この輝きは、神様の栄光であり、イエス様を信じた人の知識です。このように神様から与えられた宝を、使徒たちは土の器、つまり、弱い肉体の中に入れています。人間の肉体は弱く、限界があります。しかし、その肉体を通して力ある御業がなされたなら、人々はその力が神様のものであると認めるようになります。
パウロは見た目には弱く、苦しめられているように見えました。しかし、その弱いパウロの内にイエス様が力強く生きておられることを人々が見て救いを得ることをパウロは経験してきました。ピリピで投獄されたときが良い例です。罪人としてムチを打たれ、牢屋に入れられていましたが、神様はパウロを救い出されました。その神様の御業を通して、牢獄の看守が救いを受けました。
そのように、パウロは自分が使徒として苦しみにあっても、その苦しみは神様が人々を救うという目的のために与えた苦しみであることを確信していたので、どのような困難の中でも忍耐して希望を持ち続けることができました。
このようにパウロたちの苦しみを通して、イエス様を知らない人たちがまことの神様が生きておられることを知り、永遠のいのちを受けるようになることを、パウロは自分の使命とし、また、喜びとしていました。
コリント人への手紙第二 4章13〜15節
13 「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。
14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。
15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。
(新改訳第三版)
昔の聖徒も苦しみの中で主がともにいてくださり、恵みをくださっていることを知り、「私は信じた。」と語りました。そして、その恵みを人々に語りました。そのような聖徒と同じ信仰の霊を持つパウロは、苦しみにあっても福音を語り続けました。
なぜなら、たとえ福音を語ることによって死ぬことがあっても、イエス様をよみがえらせた神様は、パウロをもよみがえらせてくださるという確信があるからです。また、やがてパウロが語る福音によって、永遠のいのちを得たすべての信徒といっしょに、神様の御前に立つことができる希望を持っていたからです。
パウロが命がけで使徒としての務めを果たしてきたのは、すべてイエス様を知らなかった人たちが救いを受けるためです。そして、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神様の栄光が現れるようになるためです。
コリント人への手紙第二 4章16〜18節
16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
(新改訳第三版)
パウロはどのような困難があっても勇気を失うことがありませんでした。今自分が受けている患難を通して、測り知れない永遠の栄光が現されることをパウロは知っているからです。
パウロはイエス様の恵みによって救いを受け、使徒として福音を伝える働きに遣わされました。そこで、多くの苦しみを経験しましたが、その苦しみが軽いものと思えるほどの大きな恵みを受けました。それは人々がイエス様の救いに与り永遠のいのちを受けることです。
私たちも、イエス様を信じることによって、昔の聖徒やパウロと同じ信仰の霊を受けます。そして、私たちに与えられた聖霊様は、私たちに永遠の栄光の希望があることを教えてくださいます。この世では、さまざまな患難を経験しますが、イエス様を信じた人は、滅びることなく、イエス様がよみがえられたように、栄光のからだでよみがえり、同じ信仰を持った兄弟姉妹といっしょに、主の御前に立つことができます。この希望を持って、見えるものだけにとらわれず、パウロが倣った救い主イエス・キリストを見上げて歩んでまいりましょう。