タイトル | 信仰によるいやし |
聖書 | ヨハネ9:6~12 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「信仰によるいやし」というテーマです。
イエス様は、生まれつきの盲人に目をとめられました。そして、この人が生まれつき盲目であったのは、自分の罪でも親が罪を犯したからでもなく、神様のみわざが現わされるためであることを宣言されました。
今日は、この神様のみわざが現わされるために必要なポイントを、聖書から学び、私たちを通しても神様のみわざが現わされ、神様の御名が崇められるようになることを願っています。
ヨハネの福音書9章6~7節
6 イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。
7 「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。
(新改訳第三版)
唾で泥を作り、それを目に塗るということは、当時、目を癒す方法としてなされていたようです。ただ、この方法を安息日に行ってはならないと、口伝律法では定めていました。
当時の人たちは泥を薬のように考えていたのかもしれませんが、イエス様は、泥によって盲人の目を癒そうとされたのではありません。その泥をシロアムの池に行って洗いなさいと命じられました。そして、彼はイエス様が命じられた通り、シロアムの池に行って、その泥を洗い流したところ、目が見えるようになりました。イエス様は、彼がイエス様のみことばに忠実に従うことによって、神様のみわざが現わされることをお示しになられました。これは、ユダヤ人たちが、イエス様のみことばを守っていないこと、また、耳を傾けることすらしていなかったことと対照的です。
ヨハネの福音書9章8~12節
8 近所の人たちや、前に彼が物ごいをしていたのを見ていた人たちが言った。「これはすわって物ごいをしていた人ではないか。」
9 ほかの人は、「これはその人だ」と言い、またほかの人は、「そうではない。ただその人に似ているだけだ」と言った。当人は、「私がその人です」と言った。
10 そこで、彼らは言った。「それでは、あなたの目はどのようにしてあいたのですか。」
11 彼は答えた。「イエスという方が、泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい』と私に言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました。」
12 また彼らは彼に言った。「その人はどこにいるのですか。」彼は「私は知りません」と言った。
(新改訳第三版)
この盲人の目が開かれたことで、彼を以前から知っていた人たちは、彼が見えるようになったことを不思議に思いました。なぜなら、生まれつきの盲人が、見えるようになったということは、今までになかったことだからです。だからこそ、そのような奇跡を行うことができるのは、約束のキリスト以外に存在しないと考えていました。
この盲人は、自分の目を開けてくれたのは、イエス様であることは知っていました。しかし、イエス様の顔を見たわけでもなく、どこにおられるのかも知るはずがありませんでした。
ヨハネの福音書9章7節
「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。
(新改訳第三版)
イエス様は、神様のみわざが現わされるために、生まれつき盲目だった人の目を開いてくださいました。この時、イエス様が彼に命じられたことは、みことばに従うということでした。イエス様は、「だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません」とおっしゃいました。このように、イエス様のみことばに聞き従うことが、神様のみわざが現わされる方法であり、いのちを得る方法です。
普通、盲人がシロアムの池に行きなさいと命じられても、自分の力で移動することは困難です。しかし、彼と人々のやり取りを見ると、彼は一人で池まで行ったようです。彼はうわさに聞いていたイエス様が、自分の目を開いてくださると信じたのでしょう。彼は肉体の目だけでなく、霊の目まで閉ざされていましたが、イエス様との出会いにより、霊の目も開かれはじめ、イエス様に聞き従うようになったのでしょう。
イエス様が行って泥を洗うように命じられたところは、シロアムの池でした。それは、遣わされた者という意味だとヨハネは解説しています。私たちも、霊において泥だらけで盲目でした。しかし、父なる神様は私たちを、ご自身が世にお遣わしになったイエス様のもとに行って洗いなさいと導いてくださいました。今、みことばに聞き従って、遣わされた者であるイエス様のもとで罪の汚れを洗っていただいたなら、霊の目が開かれます。また、みことばを守るなら、決して死を見ることがなく永遠のいのちをいただくことができます。
今日、一人ひとりに語られるイエス様のみことばに耳を傾け、そのみことばに聞き従いましょう。そして、イエス様の血潮で、すべての罪や汚れを洗っていただきましょう。そうすれば、私たちにも、神様の救いのみわざ、きよめのみわざが現わされます。この神様のみわざによって、私たちもキリストのように愛の人に変えていただき、近所の人たちにも、救い主イエス・キリストによる救いの恵みを証してまいりましょう。