2024年7月14日「人の子が上げられたとき」木下淳夫 師

タイトル人の子が上げられたとき
聖書ヨハネ8:28~30
説教者木下淳夫師

 今日は、「人の子が上げられたとき」というテーマです。

 イエス様は、ご自身が十字架に上げられたとき、パリサイ人たちが、イエス様のことを『わたしはある』というまことの神様であると、知るようになるのだとおっしゃいました。イエス様がそのようにおっしゃったことを覚えて、イエス様が与えてくださっている約束を、私たちも受け取りたいと願っています。

ヨハネの福音書8章28~30節

28 イエスは言われた。「あなたがたが人の子を上げてしまうと、その時、あなたがたは、わたしが何であるか、また、わたしがわたし自身からは何事もせず、ただ父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話していることを、知るようになります。

29 わたしを遣わした方はわたしとともにおられます。わたしをひとり残されることはありません。わたしがいつも、そのみこころにかなうことを行うからです。」

30 イエスがこれらのことを話しておられると、多くの者がイエスを信じた。

(新改訳第三版)

 イエス様は、ご自身が主なる神様から遣わされた者、つまり神様であると宣言されました。しかし、パリサイ人たちはイエス様がおっしゃったことを信じることができませんでした。彼らは自分たちの常識の中で、神様が人間の姿をとることなどありえないと考えていたからです。また、イエス様のことをガリラヤ人であり、ヨセフの子であると知っていたからです。それなのに、イエス様がご自身を神様と等しい者としたので、神様を冒涜していると考えました。それなのに、イエス様をキリストと信じる民衆が増えていくので、彼らは妬み、自分たちの地位を守るために、イエス様を殺そうと企みました。

 イエス様は、彼らがイエス様を捕らえて殺そうとしていることまでご存じでした。ですから、「あなたがたが人の子を上げてしまう」とおっしゃいました。上げるというのは、十字架に釘づけにして高く上げるという意味です。この言葉からわかるように、イエス様は彼らが計画した通り、ご自身が十字架に上げられることを受け入れておられます。なぜなら、それが父なる神様が計画されたことだからです。

 誰も自分から十字架に架けられる人などいません。十字架はローマが、反抗する人たちへの見せしめのために行う残酷な処刑法です。このような恐ろしい苦しみ、屈辱を受けて殺されるなど、誰もが避けたいと思います。また、ユダヤ人にとって木にかけられるということは、神様に呪われた者になるということです。神様に呪われるということは、神の国に入ることができないことを意味しています。つまり、肉体の死だけでなく、その霊も永遠に滅んでしまうということです。ですから、普通の人間なら、ましてやユダヤ人なら、絶対に木にかけられること、十字架に上げられることを避けたいと考えます。

 しかし、イエス様はパリサイ人たちが、イエス様を十字架に上げてしまうことを決定事項として話しておられます。そして、彼らがイエス様を十字架に上げたときに、彼らは初めてイエス様が『わたしはある』という主なる神様であることを知るようになるとおっしゃいました。そして、イエス様が語られた言葉もすべて、父なる神様が教えてくださったことをイエス様が話しておられたことを知るようになるとおっしゃいました。

 普通の人間でしたら、十字架を恐れます。しかし、イエス様が十字架に架けられるということは父なる神様が定められたことですから、イエス様はその苦しみをも受けてくださることを明らかにしておられます。そして、その苦しみの時であっても父なる神様がイエス様を捨てることはなく、イエス様はひとり残されることはないと宣言しておられます。

 これらの会話を通して、多くの人たちがイエス様を信じました。ただ、彼らもイエス様が本当の神様であると信じたかのか、とても疑わしいところです。

ヨハネの福音書3章14~15節

モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。

それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。

(新改訳2017)

 イエス様が十字架に上げられるということは、イエス様とニコデモの会話の中でも語られています。そして、イエス様が神様に呪われる者になっても、十字架に上げられることから逃げないのは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためであることが説明されています。イエス様を生ける神の子キリストであると信じて従う人たちがみな、イエス様によって永遠のいのちを受け取るためです。

 出エジプトのとき、イスラエルの民は、主につぶやきました。そのため主は燃える蛇を彼らの中に送り、彼らの罪をさばかれました。人々は自分たちの罪を悔い改めて、モーセを通して主に救いを求めました。その願いに対して、主は青銅の蛇をつくり、その蛇を旗竿の先につけて高く掲げるように命じられました。そして、その蛇を仰ぎ見た者は生きると約束されました。

 今、罪のためにさばきを受けなければならないすべての人に、主は救いの道として人の子であるイエス様を十字架につけ、その十字架のイエス様を、信仰をもって仰ぎ見る者を救うと約束してくださいました。イエス様が十字架に架けられたとき、自分たちの救い主を失ったと失望した人も多かったと思います。しかし、イエス様がおっしゃったように、十字架を見てイエス様をまことの神様であると知った人たちもいました。私たちも、聖書を通して示された十字架の主イエス・キリストを仰ぎ見て、永遠のいのちをいただきたいと願います。