2023年2月12日「使徒たちの喜び」木下淳夫 師

タイトル使徒たちの喜び
聖書1テサロニケ2:17〜20
説教者木下淳夫師

 今日は、「使徒たちの喜び」というテーマです。

 使徒であるパウロは、イエス様が救い主であることを知り、罪の束縛から解放されました。そして、今まで迫害していたイエス様をキリストと信じて悔い改め、喜びをもってイエス様に仕える人に変えられました。しかし、パウロが使徒として福音を宣べ伝えたとき、そこには多くの困難が待ち構えていました。他の人からすると、喜びなど全くないような境遇ですが、パウロは喜びに満たされていました。今日は、パウロに代表される使徒たちが、何を喜びとしていたのかを学ばせていただきたいと願っています。

テサロニケ人への手紙第一2章17〜18節

17 兄弟たちよ。私たちは、しばらくの間あなたがたから引き離されたので―といっても、顔を見ないだけで、心においてではありませんが、―なおさらのこと、あなたがたの顔を見たいと切に願っていました。

18 それで私たちは、あなたがたのところへ行こうとしました。このパウロは一度ならず二度までも心を決めたのです。しかし、サタンが私たちを妨げました。

(新改訳第三版)

 パウロは、テサロニケの教会にとどまって、彼らをキリストの弟子として導きたいと願っていました。しかし、テサロニケで起こった迫害のため、パウロたちはその地を離れることになりました。パウロは、テサロニケの兄弟姉妹と顔を合わせて話をすることができなくなったことを残念に思っていましたが、心が離れることはないと言っています。

 これは主にある兄弟姉妹のすばらしいところです。私たちもコロナ禍を通して、兄弟姉妹の交わりが絶たれて、お互いに引き離されたことを経験しました。しかし、主にある兄弟姉妹は、顔を見ないことで繋がりが途切れることはありません。心においては距離が離れるどころか、なおさら繋がりが深められます。これが、主にイエス・キリストにあって一つにされた兄弟姉妹の繋がりのすばらしいところです。

 パウロはテサロニケでの迫害のために兄弟姉妹から離れることになったのですが、彼らと再び顔を合わせる機会が与えられることを切実に願いました。それほど、パウロは神様の子どもになって間もないテサロニケの兄弟姉妹を助け、励ましたいと願っていました。ところが、サタンの妨害にあったため、パウロはテサロニケに行くことができませんでした。

 パウロがテサロニケを訪問できない理由は、人々の迫害が理由だったと思われますが、パウロはサタンが妨げたと言っています。ここから、神様のみことばを人々に語ろうとするとき、サタンは色々な人に働きかけて妨害してくることがわかります。目に見えるところは、人間による妨害ですが、その背後にサタンの罠があり、悪霊の働きがあることを覚える必要があります。

テサロニケ人への手紙第一2章19〜20節

19 私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。

20 あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。

(新改訳第三版)

 それほどパウロがテサロニケの兄弟姉妹のところへ行きたいと願ったのは、神様の恵みによって救いに与った彼らこそ、使徒であるパウロにとっての誉れであり、喜びだからです。使徒パウロは、自分の利益や名誉のために福音を宣べ伝えたのではありません。ただ、神様の栄光が現されるためです。神様の御愛がこの世に広がり、この世に御国が来るためです。サタンの支配下にある人々を、キリストの福音によって解放し、神様の子どもとして、父なる神様のみもとに立ち返らせることこそ、使徒たちの使命であり、喜びです。主イエス様が再びこの地上に帰って来られる時、イエス様は、ご自身の民がイエス様を喜んで迎えることを願っておられます。そして、使徒たちは主イエス様が喜ばれる民を導き育てる働きを担っていました。だからこそ、テサロニケの兄弟姉妹は、パウロたちにとって、望み、喜び、誇りの冠でした。パウロたちが宣べ伝えた福音を信じて救われた彼らこそ、パウロたちが主イエス様からいただく誉れであり、喜びです。

テサロニケ人への手紙第一2章20節

あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。

(新改訳第三版)

 みなさんがイエス様を知り、救いに与ったとき、喜びがあったと思います。また、洗礼式のとき、兄弟姉妹が喜んでくださったことを覚えておられることと思います。私も山手教会で洗礼を授けていただいたとき、礼拝後にたくさんの方が本当に喜んでおられるのを見て驚きました。どうして、みなさんがこれほど喜び、祝ってくれるのか、初めは理解できませんでした。しかし、その後、洗礼式に出席させていただくようになって、その時のみなさんの喜びの意味がわかってきました。そして、今、洗礼を授けさせていただく立場になり、その喜びはさらに増しています。

 それは、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるからです。みなさんが神様の子どもになったこと、天のお父様のみもとに立ち返ったことは、自分一人だけの恵みではなく、兄弟姉妹にとって、なにより天のお父様にとって大きな喜びです。私たちは、それほど大きな恵みを受けていることを覚えましょう。そして、私たちの存在を、主と主にある兄弟姉妹が誉れとし、喜びとしていることを忘れないでください。みなさんは、主の目に高価で尊い存在、兄弟姉妹にとって望み、喜び、誇りの冠です。どんなときも、主がともにいてくださること、兄弟姉妹の祈りに支えられていることを覚えて、一歩一歩喜びをもって歩ませていただきましょう。