2020年4月26日「ステイホーム」木下淳夫 師

タイトルステイホーム
聖書 黙示録3:7〜13
説教者木下淳夫師

 

 ステイホームは、私たちができる感染拡大対策の中でも重要なことですので、できる限り不要不急な外出を控えたいと思います。それと同時に、感染リスクを負いながらも働き続けてくださっている医療関係の方々、ライフラインを支えてくださっている方々に感謝します。しかし、たまにはストレスを発散させたいので、お出かけをするという方が一定数おられることも事実です。

今日は、イエス様が「彼はもはや決して外に出て行くことはない。」と約束してくださったみことばに注目し、どうして出ていく必要がなくなるのか?出て行かなくてもストレスが溜まったり、不安になることがないのか?ということを、聖書の約束から学び、今のときを忍耐して過ごしたいと願っています。

ヨハネの黙示録 3章7節

7 また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。

(新改訳第三版)

 今日の箇所は、フィラデルフィアにある教会へのメッセージです。イエス様の自己紹介は『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方』です。

 「聖なる方」とは、俗なる人間ではないということです。罪汚れがまったくない神様であるということです。「真実な方」とは、真理である方とも言えますが、いつの時代であっても永遠に変わることのない正しいお方、義なる神様であるという宣言です。

そして、「ダビデのかぎを持つ」とは、ダビデ王の宝物庫のカギを意味していて、王の宝を管理している方、つまり神様が与えてくださるすべての祝福を管理する権限を持っておられることを意味しています。この自己紹介から、イエス様はご自身の義により、正しい裁きをし、神様の御目に正しい人には、神様の祝福を与えてくださることがわかります。

ヨハネの黙示録 3章8節

8 「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。

(新改訳第三版)

 イエス様は、フィラデルフィアの信徒に対しては、だれも閉じることのできない門をおいてくださいました。この門から入ると、そこは神様の御愛と祝福が満ちた場所である天の御国です。地上で、だれが彼らを迫害しようとも、イエス様は彼らを天の御国に入れてくださることを約束してくださいました。なぜなら、彼らはこの世では弱くはありましたが、イエス様のことばを守り、イエス様を否むことをしなかったからです。

ヨハネの黙示録 3章9節

9 見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。

(新改訳第三版)

 フィラデルフィアでは、ユダヤ人だ、自分こそ神の民だと自称して嘘を言っている人たちがいました。彼らは正しい信徒を、イエス様の教えから引き離し、自分たちの教えに従わせようとしました。現代でもキリスト教を自称して、自分たちの教理に従わせるカルトのようなものです。イエス様は、そのような人々を、「サタンの会衆」と強いことばで非難し、定められたときにフィラデルフィアの信徒が正しいことを示すと約束しておられます。

ヨハネの黙示録 3章10〜11節

10 あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。

11 わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。

(新改訳第三版)

 フィラデルフィアの信徒は、イエス様のみことばを守ったことを称賛しておられますが、とくに忍耐についてのことばを守ったことを評価しておられます。忍耐は私たちも苦手なことですが、そのみことばに従い通すなら、やがて全世界が試みを受けるとき、大患難が起こるときに、その人を守ると約束してくださいました。ですから、今は苦しいけれども、イエス様は「すぐに来る、必ず助ける」と約束してくださり、今守り続けている信仰を堅く持ち続けるように命じておられます。

ヨハネの黙示録 3章12〜13節

12 勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。

13 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』

(新改訳第三版)

 この世では弱く、敗者のように見られたとしても、みことばを守り通した人は勝利を得る者です。その人を神の聖所の柱とすると約束してくださいました。もちろん、これは比喩です。天の御国には聖所もありません。ですから、柱は文字通りの柱ではなく、重要な人として迎えてくださることを意味しています。そして、彼の上に神様の御名と、天から下って来る新しいエルサレムの名と、イエスの新しい御名とを書きしるすと約束してくださいました。私たちも自分の所有物に名前を書くように、イエス様は、彼らを神様の子ども、天の御国の住人、イエス様の友であると、すべての人々に証してくださいます。

 「彼はもはや決して外に出て行くことはない。」

 イエス様は、フィラデルフィアの信徒を天の御国に迎え入れ、苦しみが多い俗なるこの世に出て行かせるようなことはなさいません。彼らはイエス様が用意してくださった門を通り、決して失わることがない祝福を天の御国で受け取ります。これ以上の幸いはありません。ですから、彼らも自分から外に出て行くことはありません。イエス様のみことば、特に忍耐についてのみことばを守った人は、永遠に神の家にとどまり続け、永遠に平安の中で生活することができます。

 私たちがどこかへ出ていきたいと願うのは、自分の心が一箇所に落ち着いていないからではないでしょうか?心が不安定になると、安心できるところを探して、出て行きたくなるのではないでしょうか?そうだとしたら、心が落ち着かなければ、いつまでもあちこちさまよい続けることになります。さまよい歩いて得る満足は一時的です。それはすぐに失われます。これは、今の緊急事態が終息しても言えることです。

 イエス様のみことばを守るなら、永遠の祝福への門が開かれます。その門から入れば、だれもあなたの命、平安、喜びを奪い取るものはいません。今日、イエス様がみことばを守る人に与えてくださった約束、忍耐についてのみことばを守ることの大切さ教えてくださったことを覚えましょう。そして、その先に約束されている永遠の祝福に目をむけて、みことばに従って耐え忍んでまいりましょう。