
タイトル | 話させてくださる御霊 |
聖書 | 使徒2:1~4 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日のメッセージのテーマは「話させてくださる御霊」です。
今日は、ペンテコステについてお話させていただいてから、使徒の働き2章1~4節を通して、聖霊様が与えてくださる恵みを再確認させていただきたいと願っています。
まず、ペンテコステについてお話させていただきます。
ペンテコステは、ギリシャ語で50を意味しています。これは、過越しの祭りの安息日の翌日、つまり初穂の祭りと呼ばれる日曜日から数えて50日目を指しています。ユダヤでは初穂の祭りから50日目を意味する五旬節とか、初穂の祭りから七週間数えることから七週の祭りと呼ばれています。この祭りは、一日だけの祭りで、小麦の初穂によるパンを二個焼いて主にささげます。しかも、この小麦のパンはパン種を入れて焼きます。パン種は罪を象徴するので、捧げものにはパン種を入れないことが普通なのですが、この五旬節の祭りでは、パン種を入れて焼いたパンを二個捧げるように命じられています。これは、二つの罪ある者たちが一緒に主の前に捧げられることを予表している祭りです。
それでは、二つの罪ある者たちとは、だれでしょうか?それは、異邦人とユダヤ人です。今まで互いに敵対していた異邦人とユダヤ人が、この日主の御前に一つにされることを預言しています。このように、二つの異なる民族が一つにされるために与えられたのが聖霊様です。
聖霊様は、御霊とかキリストの霊とも呼ばれます。聖霊様は目に見えない霊であるお方ですが、キリスト・イエス様と同じ性質を持ったお方です。ですから、父なる神様とも同じお方であると言うことができます。人間の常識では想像が難しいのですが、私たちが礼拝している神様は、三位一体の神様と呼ばれていて、父なる神様、御子イエス様、聖霊様がそれぞれ異なった存在ではあるけれども一つであると考えられています。聖霊様は、イエス様を信じて罪を赦され、神様の子どもにされた人のうちに住んでくださり、罪について義について教え、慰め、励まし、祈りをとりなしながら、信徒をキリストの似姿へと造り変えてくださるお方です。このように、神様の子どもとされたなら、もはやユダヤ人も異邦人もありません。聖霊様は、すべての人を神様の御前に一つとしてくださる助け主です。このお方が五旬節の日、ペンテコステの日に与えられました。ですから、教会ではペンテコステを聖霊降臨日と呼ぶこともあります。
使徒の働き2章1~4節
1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。
4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
(新改訳第三版)
五旬節の日、イエス様の弟子たちが集まっていた家は、神の家である神殿です。復活のイエス様に出会った弟子たちは、七週の祭りを祝うために神殿に集まっていました。すると彼らがいた家、つまり神の家である神殿に、天から激しい風が吹いてくるような響きが起こりました。この響きは激しい風のようでしたが、実際には風ではありませんでした。その正体こそ、天から下ってこられた聖霊様でした。そして、炎のような分かれた舌が現れて、弟子たちの上にとどまりました。すると、弟子たちは聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話し出しました。このときに現れたのは炎ではなく、炎のように見えた舌です。それは、弟子たちが他国の言葉で話すことができるように、聖霊様が助けてくださることを示していました。
この時に、弟子たちがさまざまな国の言葉で、イエス様こそ生ける神の御子キリストであるということを証したのは、そこに様々な国の言葉を話す人々が集まっていたからです。このことから、神様はユダヤ人だけでなく、あらゆる国の人々がイエス・キリストの十字架の贖いによって罪を赦され、神様の子どもとして御前に立ち返ることを願っておられることがわかります。
使徒の働き2章4節
すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
(新改訳第三版)
ペンテコステの日に、神様が弟子たちに与えられた働きは、聖霊様の助けをいただいてあらゆる国の人々に福音を宣べ伝えるということでした。神様は今も変わることなく、すべての人が罪を悔い改めて、御前に立ち返ることを願っておられます。そして、イエス様を信じた一人ひとりに聖霊様を与えてくださり、救いの福音を一人でも多くの人に伝えてほしいと願っておられます。
私たちも、罪の中に死んでいた者でしたが、イエス様の十字架の血潮によってすべての罪が洗いきよめられ、私たちの内に聖霊様が住んでくださっています。ですから、私たちが心の王座を聖霊様に明け渡し、聖霊様が導いてくださる通りに働くなら、聖霊様は私たちを通して、救い主イエス・キリストを人々に証してくださいます。私たちも、すべてを主にゆだねて聖霊様に満たされ、当時のペンテコステの日のように、多くの人々が悔い改めて主に立ち返るような、神様の栄光を拝させていただきたいと願います。