2024年2月11日「イエス様を求める理由」木下淳夫 師

タイトルイエス様を求める理由
聖書ヨハネ6:22~27
説教者木下淳夫師

  今日は、「イエス様を求める理由」というテーマです。

 私たちは毎週教会に集まって礼拝を捧げています。また、多くの人はデボーションで毎日、神様に感謝と賛美を捧げています。このように目に見える行いも大切なのですが、私たちが礼拝している神様は、心をご覧になることを忘れてはいけません。私たちが礼拝を捧げる動機が何であるのか、祈りをささげる動機は何か、神様は知っておられます。今日は、イエス様を捜してカペナウムまでやって来た群衆に対してイエス様が語られたことから、私たちも何を求めて礼拝をしているのか顧みたいと願っています。

ヨハネの福音書6章22~24節

22 その翌日、湖の向こう岸にいた群衆は、そこには小舟が一隻あっただけで、ほかにはなかったこと、また、その舟にイエスは弟子たちといっしょに乗られないで、弟子たちだけが行ったということに気づいた。

23 しかし、主が感謝をささげられてから、人々がパンを食べた場所の近くに、テベリヤから数隻の小舟が来た。

24 群衆は、イエスがそこにおられず、弟子たちもいないことを知ると、自分たちもその小舟に乗り込んで、イエスを捜してカペナウムに来た。

(新改訳第三版)

 イエス様は、パンを食べた群衆を帰されました。しかし、彼らの内の幾人かは、まだ近くにとどまり続けていました。そして、岸辺にあった舟は一隻だけだったこと、また、夕方にその舟に弟子たちだけが乗り込み向こう岸へ渡っていく様子を見ていました。ですから、群衆はイエス様がまだ山に残っておられることを知っていたので、パンをいただいた場所の近くにとどまっていました。

すると、テベリヤから数隻の小舟が来たので、群衆は弟子たちがその舟で帰って来たと思ったのでしょう。しかし、弟子たちは舟に乗っていませんでした。ですから、群衆はイエス様がその舟に乗って弟子たちの後を追い、合流されるのだと思って様子を伺っていたのですが、そこにイエス様の姿は見えませんでした。ですから、群衆は慌ててその舟に乗り込んでイエス様を捜してカペナウムまでやって来ました。

ヨハネの福音書6章25~27節

25 そして湖の向こう側でイエスを見つけたとき、彼らはイエスに言った。「先生。いつここにおいでになりましたか。」

26 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。

27 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」

(新改訳第三版)

 群衆は、イエス様が一人で山に行かれたところを見ていました。また、湖を渡るための舟は一隻だけしかなく、その舟には弟子たちだけが乗って向こう岸へ出発したことも群衆は確認していました。ですから、イエス様はまだ向こう岸へは行っておられないと確信していたのに、なぜかイエス様は湖を渡っておられたのですから、彼らはとても驚きました。

 イエス様は、彼らの質問にお答えになりませんでした。なぜなら、湖の上を歩いて渡って来たことは、弟子たちだけにご自身がまことの神様であることを示す奇跡だからです。イエス様は群衆には、ご自身を明らかにすることはなさいませんでした。

 その理由が26節に記されています。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。

 イエス様は、彼らがイエス様を捜してやって来た理由が、しるしを見てイエス様こそ主であると信じたからではなく、またパンをもらいたくてやって来たということを知っておられました。彼らがイエス様を求めていた理由は、翌日もイエス様のもとへ行ってパンをもらいたかったからです。当時、食べるものに困っていた人は、イエス様がパンを与えてくださり、お腹いっぱい食べることができたとことがとてもうれしかったのでしょう。ですから、彼らはまたイエス様からパンをいただこうと、イエス様がどこへ行くのか見張っていました。

 ですから、彼らに「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。」と命じ、イエス様が空腹を満たすパンを与えるために来られたのではなく、永遠のいのちを与えるため、ご自身をいのちのパンとして与えるために来られたことをお示しになられました。イエス様が永遠のいのちを与えることがおできになるのは、父なる神様から与えられたイエス様のお働きであり、それを証明するのが、イエス様がなさっていた奇跡です。

ヨハネの福音書6章27節

なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。

(新改訳第三版)

 私たちは、何を求めて信仰しているのでしょうか。信仰しなくても、普段の生活を送ることはできるでしょう。それでも、皆さんはイエス様をまことの神様、滅びから救い、永遠のいのちを与えてくださった主キリストと信じて、教会に集って礼拝を捧げているのは、イエス様が私たちのために十字架でいのちを捨ててくださるほどに、また、ご自身をいのちのパンとして与えてくださるほど、私たちを愛してくださっていることを知ったからではないでしょうか。

 この世にはさまざまな宗教がありますが、ほとんどの宗教が家内安全、商売繁盛のようにこの世の生活で自分に良いことがあるから、ご利益があるから信仰しているのでしょう。しかし、イエス様はそのような一時の幸せ、一時の満足のために働くのではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る信仰こそ大切であると教えてくださいました。人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得もありません。私たちも、主を礼拝していますが、その動機が自分の御利益のためになっていないか顧みて、永遠のいのちを与えてくださる主イエス様ご自身とともに歩み、いつも心からの感謝と賛美を主に捧げてまいりましょう。