2023年11月5日「御子の声を聞くとき」木下淳夫 師

タイトル御子の声を聞くとき
聖書ヨハネ5:25〜29
説教者木下淳夫師

今日のテーマは「御子の声を聞くとき」です。

 羊は羊飼いが呼ぶと、必ずその声を聞き分けて従うそうです。なぜなら、羊飼いがいなければ、羊は生きることができないからです。では、私たちは、だれの声を聞いて生きているでしょうか?まことの神様であり、私たちの大牧者であるイエス様の御声を聞いているでしょうか?

 しかし、神様は霊であるお方で目には見えませんから、その御声を人間が聞くためには、その御声を聞く備えができていなければならなかいからです。しかし、イエス様は永遠のいのちと永遠のさばきに関する重大なことを示すために、すべての人が聞くことができるように、ご自身が人間となり、人間の前で、人間のことばで語られました。

 今日は、イエス様が語られた大切なメッセージを私たちも真剣に受け取り、私たちに備えられている永遠について考えたいと願っています。

ヨハネの福音書5章25〜26節

25 まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。

26 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。

(新改訳第三版)

 イエス様は、「死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。」とおっしゃいました。イエス様がこの地上でたくさんの人々に神の国について語っておられるこの時代、また、今、イエス様がユダヤ人の指導者たちと語っておられるこの時、この時こそ死人が神の子イエス様の御声を聞く時であると教えられました。ですから、ここで言われている死人というのは、霊的な死人のことです。神様のみもとを離れ、自分でも気づかないうちに永遠の滅びに向かって歩んでいる人々のことを指しています。そして、羊が羊飼いの声に聞き従うように、自分が何をしているのかわからず、滅びに向かっている人々が、神の御子イエス様の御声を聞いて、イエス様に従うなら、その人は生きる、永遠のいのちを持つ、死からいのちに移されると約束してくださいました。

 ユダヤ人たちは、人間であるイエス様にそのような権限などあるはずがないと考えたことでしょう。しかし、イエス様は父なる神様が、すべての人に与える命を持っておられるように、御子イエス様にも、人に与える命を持つようにされたのだとおっしゃいました。たとえ、見た目は人間であっても、その内面は変わることなく、まことの神様であることを、イエス様はお示しになられました。

ヨハネの福音書5章27〜29節

27 また、父はさばきを行う権を子に与えられました。子は人の子だからです。

28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。

29 善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けるのです。

(新改訳第三版)

 イエス様は、人々に命を与える権限だけでなく、さばきをくだす権限も、父なる神様から与えられました。「人の子」というのは、当時、メシアの称号として用いられた言葉です。ですから、神の御子は、創造主である神様から王の王として、大祭司として、預言者として一切の権威が授けられた者として油注がれ、この地上に遣わされたメシアであるという意味です。この一切の権威を与えられたイエス様は、今、イエス様の御声を聞くことができる人々に、いのちを与えることがおできになるだけではありません。すでに墓に葬られた人々も、イエス様の御声を聞いて、墓から出てくる時が来るとイエス様はおっしゃいました。

その時、善を行った者は、よみがえっていのちを受けます。しかし、悪を行った者もよみがえるのですが、さばきを受けることになります。ここで言われている悪を行った者は、悪を習慣的に行った者ということです。ですから、神様のみもとを離れ罪に囚われ続けた人のことを指しています。それに対して、善を行うは、習慣的なことではありません。また、ここでいう善は私たちが普段使う良い行いではありません。本質的な善、つまり、イエス様の御声を聞いて従うということです。イエス様に聞き従うということによって、墓にいる人たちもよみがえっていのちを受けるのだとイエス様はおっしゃいました。

イエス様は、今の時代の人たちだけでなく、過去と未来すべての時代の人々に、いのちを与え、また、さばきを下す権威を持っておられること、そして、イエス様に聞き従う者は、だれでも永遠のいのちを持つと教えられました。

ヨハネの福音書5章25節

25 まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。

(新改訳第三版)

 イエス様がこのみことばを語られたのは、今から2000年も前のことです。しかし、そのみことばは時間と空間を超え、現代の私たちにも同じように語られています。この約束は私たちにも同じように与えられています。罪の中に死んでいた私たちも、イエス様の御声を聞いて、イエス様を救い主と信じたなら、だれでも、どんな罪を犯していたとしても、イエス様の十字架の血潮という尊い代価によって罪はきよめられ、永遠のいのちが与えられます。すでに、イエス様を救い主と信じて、イエス様に聞き従っておられる方は、この約束を再確認して感謝しましょう。そして、これからもいつもイエス様の御声に従って歩ませていただきましょう。