
タイトル | 神殿をきよめよう |
聖書 | ヨハネ2:12〜22 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「神殿をきよめよう」というテーマです。
柔和なイエス様が、過越の祭のときに、神殿の庭で商売をしていた人たちを追い出すという、驚くような行動をとられました。このことから、私たちも、自分の生活がイエス様に喜ばれているのか省みたいと願っています。
ヨハネの福音書2章12節
12 その後、イエスは母や兄弟たちや弟子たちといっしょに、カペナウムに下って行き、長い日数ではなかったが、そこに滞在された。
(新改訳第三版)
カナで行われた婚礼が終わると、イエス様は母や兄弟たち、弟子たちと一緒にカペナウムに下って行って、少しの間滞在されました。イエス様は今までヨセフの子として、母マリヤや兄弟たちを支えていました。しかし、ここで家族と一緒にカペナウムで短い時を過ごすことを最後に、いよいよ本格的な宣教活動が始まります。
ヨハネの福音書2章13〜17節
13 ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。
14 そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、
15 細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、
16 また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。
(新改訳第三版)
イエス様は、過越の祭のためにエルサレムに上ってこられたとき、宮の中で牛や羊や鳩を売る者たち、また、両替人たちが座っているのをご覧になって、細縄でむちを作って、宮の中から追い出してしまわれました。
ここで商売をしていた人たちは、過越の祭にやって来た人たちが、律法にかなったいけにえをささげることができるように、いけにえの動物を用意していました。なぜなら、いけにえの動物は、どんなものでもいいというわけではなく、律法で定められた基準があったからです。ただ、この時代に宮の中でいけにえを売っていた人たちは、神殿を管理する人たちと協力して、不当な利益をえていました。いけにえを受け取る祭司たちは、礼拝者が持って来たいけにえに不備があるとして、宮で売っている動物を買うように命じます。そして、動物を売る人たちも、売り上げから祭司たちに謝礼を払っていました。両替人も同様で、捧げられるお金はユダヤのお金だけだとして、他の国のお金を持って来た人は、手数料を払って両替をするように命じられていました。
このように、宮の中では祭司たちが中心となって、不当な商売が行われ神様がないがしろにされていました。ですから、イエス様は、彼らを追い出し、「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」と、おっしゃいました。弟子たちは、この出来事を通して、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い起こしました。
ヨハネの福音書2章18〜22節
18 そこで、ユダヤ人たちが答えて言った。「あなたがこのようなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せてくれるのですか。」
19 イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」
20 そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」
21 しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。
22 それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばとを信じた。
(新改訳第三版)
ユダヤ人の指導者たちは、自分たちの利益が失われたことに腹を立てました。そして、イエス様がメシアとして、このようなことをしているのなら、メシアのしるしを見せるように要求しました。それに対して、イエス様は「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」とおっしゃいました。このことばに、ユダヤ人たちは驚いたことでしょう。なぜなら、神殿を建てるのに46年かかっていたからです。しかし、イエス様が仰った神殿は、ヘロデが建てた神殿ではなく、イエス様ご自身のからだのことでした。これは、弟子たちにもわからなかったのですが、イエス様が墓の中から三日目によみがえられたことを経験して、この時のイエス様のことばを理解し、聖書のみことばとイエス様が語られたことを信じました。
今日、私たちが覚えたいことは、神様の神殿を、自分の欲で汚してはならないということです。当時の神殿は、律法を守っていけにえをささげようという熱心さはあったのですが、そこに一部の人たちの貪欲が入り込み、宮は汚されていました。神様の神殿に、罪が入り込んでしまうなら、見た目は神殿であっても神様の臨在はありません。神殿は内に神様がおられるからこそ神殿と言えます。イエス様は、肉体をとってこの世に来てくださった神様です。ですから、イエス様の肉体は、見た目は人間と同じですが、肉体の内にまことの神様が臨在しておられましたので、イエス様の肉体は神殿と言うことができます。そして、イエス様は救いに与った私たちのうちにも聖霊なる神様が住んでくださると約束をしてくださいました。この約束により、私たちのからだも神様の神殿とされています。
コリント人への手紙第一6章19節
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
(新改訳第三版)
パウロも私たちのからだが、聖霊の宮であると述べている通り、私たちは信仰によって神様の子どもにしていただき、この身体は神様が臨在しておられる神殿とされています。ですから、私たちのからだを自分の欲のために用いて、神様を悲しませることがないようにしましょう。食べることも飲むことも、一切のことを神様の栄光をあらわすことができるように、内におられる聖霊様に汚れをきよめていただきつつ、歩ませていただきたいと願います。