タイトル | 聖なるものとされる |
聖書 | 1テサロニケ5:23〜28 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は「聖なるものとされる」というテーマです。
教会は「聖書」とか「聖歌」とあるように、「聖」という文字をつけることがよくあります。「聖」は「きよさ」を意味していますが、汚いとか汚れているということばの反対の意味ではありません。聖なるものは、この世の罪や汚れから分離して、神様とともにいることを意味しています。
今日は、この世にいる私たちも神様のみことばを聞いて、神様と共にいてより大きな恵みをいただきたいと願っています。
テサロニケ人への手紙第一5章23〜24節
23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。
(新改訳第三版)
イエス様の救いに与って信仰生活に入ると、だれでもイエス様のように生きようと願うと思います。それは、信徒にとってとても大切なことです。しかし、注意しなければならないことがあります。それは、イエス様のように聖なる人、聖い人になることは、自分の力ではできないと言うことです。
テサロニケ人への手紙第一5章23節
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。
(新改訳第三版)
すべての人は罪を犯したので、神様から罪の赦しをいただく必要があります。そして、救われた人は、今までのようにこの世の罪、汚れを行うのではなく、神様の子どもとして生活し、成長する必要があります。それが、聖なるものとなるということです。そして、信徒を聖なるものとしてくださるのは、平和の神ご自身です。
私たちは自分の力で罪をきよめ、聖なるものとなることはできません。すべては神様の恵みによることです。罪を赦してきよめることができるのは神様だけだからです。神様は一人ひとりが、イエス様に似た者になるように、さまざまな心のうちにある罪を示して悔い改めへと導いてくださいます。そして、正しい道を教えさらに多くの恵みを与えようとしておられます。神様はご自身を愛し、従う者をこの世の汚れから離れさせ、祝福を与えてくださるお方です。
イエス様がこの地上に再臨された時に、救いに与った信徒が、イエス様に従わず、この世に従った生き方をしていたら、イエス様はその人を叱責されます。救いの約束は変わることがありませんが、パウロは、信徒一人ひとりの霊、たましい、からだが完全に守られ、みんなが主に喜ばれる者になるようにと祈っています。そして、罪の誘惑から守り、また、罪を犯した時でも、悔い改めて赦しをいただき、成長できるようにと願っています。
ただ、自分の力で聖なるものになることができないとわかると、本当に神様は自分を聖なるものにしてくださるのだろうか、イエス様が再臨された時に責められるところがないように、霊、たましい、からだを完全に守ってくださるのだろうかと、不安になるかもしれませんが、パウロは神様が真実なお方であるから、神様のみこころにかなった生き方を願う人を、必ず守り、聖なるものとしてくださると教えています。
テサロニケ人への手紙第一5章25〜28節
25 兄弟たち。私たちのためにも祈ってください。
26 すべての兄弟たちに、聖なる口づけをもってあいさつをなさい。
27 この手紙がすべての兄弟たちに読まれるように、主によって命じます。
28 私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたとともにありますように。
(新改訳第三版)
手紙の最後に、パウロは自分たちのためにも祈ってほしい。すべての兄弟たちに聖なる口づけをもってあいさつするように、この手紙をすべての兄弟たちにも読まれるように命じています。この命令を通して、主にある兄弟姉妹が、愛をもって互いに祈り、教えあい、助け合うことの大切さが教えられます。
そして、最後に「私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたとともにありますように。」と、祈っています。
テサロニケ人への手紙第一5章23節
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。
(新改訳第三版)
今日、皆さんに覚えていただきたいことが三つあります。
一つ目は、救いを受けること、また、洗礼を受けることが私たちのゴールではないと言うことです。それどころか、洗礼は信仰生活のスタートにすぎません。神様の子どもとしての成長と歩みは、イエス様の十字架と復活による救いから始まり、主イエス様と共に歩むことにより、私たちはうちにある罪が示され、悔い改めることを重ねながら、聖なるものへと変えられていきます。
二つ目は、聖なるものに変えてくださるのは、神様のみわざだと言うことです。神様を離れて、自分で良いと思うことばかりしても、神様に喜ばれることはありません。ですから、しっかりとみことばを学び、みことばに従って歩んでまいりましょう。
そして、三つ目は、神様は真実なお方ですから、私たちが主に従って歩む時、私たちの霊、たましい、からだを完全に守り、聖なるものにしてくださると言うことです。聖なるもの、それはイエス様と似た者です。今はまだイエス様のような愛はないかもしれません。祈ることも、良いわざも何一つできないかもしれません。しかし、私たちが心を尽くして主に従うなら、真実な神様は、私たちをすべての罪からきよめて聖なるものにしてくださいます。