2022年9月11日「砂漠を水の源に変えてくださる主」木下淳夫 師

タイトル砂漠を水の源に変えてくださる主
聖書イザヤ41:17~20
説教者木下淳夫師

 今日は、「砂漠を水の源に変えてくださる主」というテーマです。

 今、地球の環境はどんどん悪くなっていると言われています。地域によっては、砂漠化が進んでいるところもあります。土地が砂漠化すると、人間の力では回復が困難ですが、今日与えられているみことばには、主が「砂漠を水の源とする」とあります。このような力ある神様のみことばを、私たちも受け取って希望を持ちたいと願っています。

イザヤ書 41章17〜20節

17 悩んでいる者や貧しい者が水を求めても

水はなく、

その舌は渇きで干からびるが、

わたし、主は、彼らに答え、

イスラエルの神は、彼らを見捨てない。

18 わたしは、裸の丘に川を開き、

平地に泉をわかせる。

荒野を水のある沢とし、

砂漠の地を水の源とする。

19 わたしは荒野の中に杉や、アカシヤ、

ミルトス、オリーブの木を植え、

荒地にもみの木、

すずかけ、檜も共に植える。

20 主の手がこのことをし、

イスラエルの聖なる者がこれを創造したことを、

彼らが見て知り、

心に留めて、共に悟るためである。

(新改訳第三版)

 イスラエルでは昔から今に至るまで争いが絶えません。ダビデ王、ソロモン王の時代には繁栄していたイスラエル王国も南北に分裂し、北イスラエル王国はアッシリアに、南ユダ王国はバビロンに滅ぼされました。このような争いが続く世の中では、物質的にも乏しくなり、精神的にも弱ってしまいます。特に水が手に入らないという状況に陥ると命の危機です。しかし、イスラエルでは、その最悪の事態が起こってしまいます。人々は悩み苦しみ、水を求めますが、水を見つけることができません。

 そのようなイスラエルの民に、主は彼らの求めに答えてくださり、彼らを見捨てないと約束してくださいました。主は見たところ水など出ることはないだろう思える裸の丘に川を開き、平地に泉を湧かせるとおっしゃいました。さらに、荒野という水がまったくない場所すらも水のある沢として、砂漠の地を水の源とすると約束してくださいました。水がないから砂漠になります。それなのに、砂漠を水の源とすると主はおっしゃいました。そのようなことは、普通に考えるとありえない話です。さらに、主は荒野に杉や、アカシヤ、ミルトス、オリーブの木を植え、荒地にもみの木、すずかけ、檜もともに植えるとおっしゃっています。緑がまったくない土地を、主が緑豊かな場所に変えるとおっしゃいました。これほどの木が育つには、少しばかりの水では足りません。主が約束してくださった水は、この土地を新しく造り変えるほどの水です。これは、悩んでいる人たち、貧しい人たちが、どれほど絶望していても、喜びに変えられる奇跡です。そして、この主の力ある御業を通して、主は、ご自身がイスラエルの聖なる神様であり、この天地万物を創造し、死んでいる土地をよみがえらせることがおできになること、主ご自身がいのちの源であることを示そうとしておられます。

 イザヤを通して語られた主の約束は、人々に飲み水を与えてくださるという約束ですが、それはただ彼らの渇きを癒すというものではありません。その溢れ出る水を通して、主こそいのちの水を与えてくださるお方、いのちの源であることを悟り、主に立ち返るための奇跡です。そして、その奇跡によって導かれる信仰による救いの恵みは、イエス様を通して、私たちにも注がれています。

ヨハネの福音書 4章14節

しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。

(新改訳第三版)

 イエス様は、井戸に水を汲みにきたサマリヤの女性に水をお求めになりました。しかし、イエス様は、その女性の悩み、心の寂しさ、霊的な渇きを知っておられ、イエス様をまことの神様であると信じるなら、決して渇くことがないと約束してくださいました。

 悩んでいる人たち、心が貧しく助けを求める人たちの求めに、主イエス様は答えてくださいます。そして、私たちのそばに寄り添ってくださり、いのちの水を与えてくださいます。イエス様を信じて従うなら、荒野に思えるような人生でも、心のうちには永遠のいのちへの泉が湧き出ます。そして、その湧き出たいのちの水は、自分をいやし満たすだけでなく、溢れ流れて多くの人を潤します。

 イエス様は、私たちに永遠のいのちを与えてくださっただけでなく、私たちを通して、乾いた地を潤し、砂漠を水の源に変え、緑豊かなパラダイスへと作り変えてくださいます。

 悩みの多い時代ではありますが、「イスラエルの神は、彼らを見捨てない。」と、主は約束してくださっています。ですから、主イエス様の十字架を仰ぎ、死に勝利してくださったイエス様の御力を覚えて、主により頼んでまいりましょう。いのちの源である主は、私たちの魂の渇きをいやし、溢れるばかりの御愛と恵みを注いでくださいます。