2022年6月19日「十分な神様の恵み」木下淳夫 師

タイトル十分な神様の恵み
聖書2コリント12:7~10
説教者木下淳夫師

 みなさんは、お友達に家に招待されたことはありませんか。ゲストとして招待していただけることは、とても嬉しいことですよね。では、招待してくださった方が王様で、招いていただいた場所が、荘厳な宮殿だったらどうでしょう。そのような光栄に与ったなら、みんなに自慢したくなりませんか?使徒パウロは、王の王である神様から招待を受けました。しかし、パウロはその経験を自慢することなく、いつも自分の弱さを誇りとしました。

 今日は、私たちの考え方とは異なったパウロの生き方を学び、そこにある私たちが気付いていない恵みに目をとめたいと願っています。

コリント人への手紙第二 12章7〜10節

7 また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。

8 このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。

9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

(新改訳第三版)

 使徒パウロは、この世界を創造し、また、秩序をもって治めておられる王である神様の招待を受けました。神様は目に見えないお方ですから、本当なら人間が神様のおられるパラダイスに入ることも、見ることもできません。しかし、パウロは肉体を持ったままだったか、肉体を離れてであったかわからないような不思議な状態でパラダイスに入り、神様の御声を聞きました。

 そのような、素晴らしい神様からの啓示をいただいたなら、普通の人はみんなに自慢したくなります。もちろん、パウロもその素晴らしい経験を人々に話したかったことでしょう。しかし、そのような話をすると、人々は神様を崇めるのではなく、パウロを神様のように敬ってしまう危険性がありました。ですから、神様はパウロが高ぶることがないように、肉体に一つのとげを与えられました。そのとげは具体的に何であったかはわかりません。偏頭痛、眼病、てんかん、マラリヤなど、いろいろな説があります。いずれにしても、パウロは健康上の不安を抱えていました。パウロはサタンの使いと言っていますが、それほど肉体的にも霊的にも大きな障害となる苦痛だったようです。

 パウロは、この苦痛を取り去ってくださるように、三度も神様にお願いしたのですが、神様の答えは、9節です。

コリント人への手紙第二 12章9節

「わたしの恵みは、あなたに十分である。
というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」

(新改訳第三版)

 この答えをいただいたパウロは、自分の肉体的な弱さにこそ、神様の御力が完全に現れること、キリストの力が自分を覆ってくださることを覚えて、その弱さを誇りとしました。

 パウロが誇る弱さは、自分の肉体的な弱さにとどまりません。あらゆる場面で、より低いところに自分を置くことをパウロは選びました。それは、イエス様が罪のないお方であったにもかかわらず、すべての人の罪を背負い、身代わりとなって十字架で罰を受け死んでくださった愛にならったからです。パウロもキリストのゆえに侮辱、苦痛、迫害、困難を自分から受け入れています。なぜなら、パウロがそのような苦しみの中で弱さを覚えるときこそ、キリストが力を与えてくださるときだからです。キリストが死からよみがえられたように、どのような弱さのときにも神様の御力が働くことを、パウロは確信していたからです。

 イエス様は、十字架で命を捨てられました。そして、墓に葬られました。誰から見ても、みじめな敗北者です。しかし、そのイエス様が、死に勝利してよみがえられました。イエス様は、圧倒的な勝利者となられました。それは、イエス様ご自身だけの勝利ではありません。イエス様を信じるすべての人も、イエス様とともに死に勝利したことを意味します。だからこそ、パウロは苦しみのために、弱さを覚えるときこそ、その後に神様が十分な恵みをくださること、イエス様の完全な勝利があることを確信して、自分の弱さを誇りました。

 私たちは、病気のとき、また歳を重ねて肉体的な弱さを覚えるとき、喜ぶことができるでしょうか。苦しみに会うとき、困難なときを過ごさなければならないとき、希望を持つことができるでしょうか。どんな人でも、いつも、いつまでも弱さを持つことなく過ごすことなどできません。しかし、その弱さをどのように捉えるかによって、私たちの人生は大きく変わります。弱さを覚えるとき、失望してしまうことがあるかもしれません。しかし、パウロに与えられた神様のみことばは、みなさんにも同じように語られています。

「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」

 自分では気付いていない、また、忘れているような神様の恵みはありませんか。悪いことばかり数えるのではなくて、与えられた感謝な恵みを数えてみませんか。そして、私たちのために、十字架にかかってくださったイエス様を見上げてください。そうすると、どんなに弱さを覚えるときも、希望を持つことができます。また、イエス様が、その弱さにご自身の御力を完全に現してくださり、私たちに喜びを与えてくださいます。