2021年1月17日「信仰と希望は神にかかっている」木下淳夫 師

タイトル信仰と希望は神にかかっている
聖書1ペテロ1:13~21
説教者木下淳夫師

 ペテロは試練の中にある信徒たちが、イエス・キリストを信じる信仰によって、永遠のいのちを与えられ、生きる希望を持つようにされていることを再確認させ、試練の中にあっても喜ぶように励ましています。 今日は、「信仰と希望は神にかかっている」というテーマで、ペテロが信徒たちに希望があると力強く語る理由を学び、私たちも信仰と希望を持ち続けたいと願っています。

ペテロの手紙第一1章13〜17節

13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。

14 従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、

15 あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。

16 それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない」と書いてあるからです。

17 また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。

(新改訳第三版)

 ペテロは、困難の中にある兄弟姉妹に対して、イエス・キリストの救いの恵みを覚えてイエス・キリストの再臨をひたすら待ち望むように命じています。イエス様は地上に再臨されると、王として千年の間、イエス様を信じた兄弟姉妹を治められます。その後、最後の戦いを経て、新天新地が現れます。そこに、すでに天に召されている信徒と、地上に残されていた信徒全員が、招かれ永遠のときを神様の御愛のうちに過ごすことが約束されています。

 そのような素晴らしい約束はあるのですが、イエス・キリストへの信仰のために迫害されていると、この世と調子を合わせた方が楽に生きることができるのではないかと思うことがあります。しかし、それは神様から遠く離れる生き方です。そのように、この世は信徒に対して試練を与えて、信仰を持つ前のように神様に背を向け、欲望に従って生きるように誘惑します。

 ですから、ペテロは誘惑に陥らないように、心を引き締めて、身を慎むように命じています。「心」と訳されていますが、これは感情というよりも「知力」「考えること」です。ペテロは、彼らの信仰が何に基づき、何を信頼しているのか再確認しました。そして、冷静になって、彼らが信じていることを思い起こし、誘惑に陥らないで正しく判断するように命じています。

 その正しい判断とは、神様の正しさを基準にして、聖なる者として行動することです。イエス・キリストを信じた信徒は、もはや罪の奴隷ではなく、神様の子どもであり、この世の者ではなく、聖なる者であるという真理を忘れず、聖霊様の助けをいただいて、みことばに従順に従って、聖なる者として生きるように命じています。そして、試練の中にあると、自分が正しい、迫害する人たちは悪だと思い、そのような人たちをさばきやすくなります。しかし、そのような時こそ、父なる神様が公平なさばきをなさることを思い出し、隣人への愛を忘れず、父なる神様を恐れかしこむように命じています。

ペテロの手紙第一1章18〜21節

18 ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、

19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。

20 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。

21 あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。

(新改訳第三版)

 ペテロが、この試練の中でも、罪の誘惑に打ち勝ち、聖なる神様に倣って、聖なる者となるように命じるのは、信徒はイエス様が十字架で流してくださった血潮という代価によって、この世から贖われ、神様の子どもにされているからです。イエス様は、世の始まる前から存在し、以前から預言者たちによってその存在が明らかにされていましたが、神様を知らず滅びに向かっていた人々が救いに与かり、試練に打ち勝ち、天の御国に凱旋するために、終わりのときである今、彼らのために現れてくださったのだということを教えています。信徒たちは、このキリストの十字架の贖いと復活を信じる信仰により救いをいただき、希望を持つことができます。

 ペテロは、彼らが試練の中でも神様がどのようなお方であるのか、また、自分たちが信じたイエス・キリストとはどのようなお方なのか、また、どのような約束が与えられているのかを順序立てて説明し、「このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」と力強く宣言しました。

 ペテロの命令を実行することは難しいかもしれません。

 私は阪神淡路大震災を経験しましたが、震災直後、メチャクチャになった神戸の町を見て、喜ぶことなどできませんでした。どうやって生きるのかを考えるのが精一杯でした。しかし、しばらくして自分が全く無傷でいること、生きる術が残されていることを知るにつれて、神様の恵みをしっかりと理解して感謝し、今与えられている恵みを喜ぶことができるようになりました。

 20節に、「この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。」とありますが、この終わりの時は、イエス様の再臨を待つ時です。ですから、今に至るまで続いています。そして、「あなたがたのため」とは、いまみことばを聞いているみなさんのためです。イエス様がこの世に来てくださり、十字架で命を捨ててくださり、墓に葬られ三日目によみがえられたのは、私たちのためです。父なる神様は、私たちに御目を留めてくださり、私たちのために天の宝を備えてくださり、私たちのために救いを完成させてくださいます。

 私たちも試練の中にありますが、私たちはイエス様を信じたことによって、失われることがない天の希望を与えられています。ですから、この世の誘惑に惑わされないよう、心を引き締めて、冷静に正しい判断をして、聖なる者として行動し、イエス様の御再臨を待ち望みましょう。