タイトル | 変わらない福音 |
聖書 | 1ペテロ1:22~25 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今、新型コロナウイルス感染症に対して、法律の改正が行われていますが、私たちの身の回りで、さまざまな法律やルールが変わっています。ですから、気がつかないうちに、違反をしているということもあります。この世のルールでも、罰を受けることは嬉しいことではありませんが、最後の審判で神の国に入ることができるか、永遠の滅びに定められるかという、さばきがくだされるときに、その基準が変わっていたら、大変なことになります。
ですが、ご安心ください。聖書が教える救いの約束、救いの福音は変わることがありません。今日は、「変わらない福音」というテーマで、私たちの人生のゴールである天国の約束は変わることがないということを覚えて、今過ごしている人生を、愛と喜びのあるものにしていきたいと願っています。
ペテロの手紙第一1章22節
22 あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。
(新改訳第三版)
試練の中にあると、自分のことだけでも精一杯になってしまいます。そして、気づかないうちに兄弟姉妹への愛がなくなってしまいます。私たち人間は、造り主である神様を愛し、自分を愛するように隣人を愛するとき、最善の生き方ができます。ですから、兄弟愛がなくなることは、教会の交わりが壊れるだけでなく、自分にとっても良いことではありません。そのような、悪い連鎖を防ぐために、ペテロは彼らが何を信じたのか、信仰によって得た恵みは何かを思い起こさせ、信仰と希望は神様にかかっているのだから、救い主イエス様が命じられたように、互いに愛し合いなさいと命じています。
罪からの救い、永遠の滅びからの救いは、自分の力では成し得ません。ただ、神様の恵みによることです。父なる神様は、私たちの罪を赦すために、御子イエス・キリストを世にお与えくださいました。イエス様が私たちのすべての罪を身に負って十字架で命を捨ててくださったことにより、罪が赦されると神様は約束してくださいました。その約束を信じて、イエス・キリストを受け入れることにより、私たちはたましいが滅びから救われ、永遠のいのちをいただきました。一方的な恵みにより救いの約束をいただき、それに信仰で応答することにより救われました。
ですから、ペテロは、当時の教会の兄弟姉妹、また、今の私たちに対して、私たちが行った信仰の決断を思い起こさせて、困難な中でもみことばに従うように励ましています。
ペテロの手紙第一1章23〜25節
23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
24 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。
(新改訳第三版)
ペテロはもう一度、私たち信徒が永遠のいのちをいただいて新しく生まれたのは、いつまでも変わることがない、神様のみことばによるのであると教えています。神様の約束はいつまでも変わることがないので、みことばによって約束された希望もけっして変わることがないことを再確認しています。
実際、主のみことばは、変わることがありません。イスラエルに与えられたみことばが、どのように彼らに成就したのかということは、旧約聖書だけでなく、歴史的な事実として確認することができます。彼らが主の戒めを守らなかっために、周辺の国々から攻められ国を失い、世界中に散らされたことも、神様の約束通りです。また、失った国に、再び集められたことも事実です。バビロンに捕らえ移されたときも、約束通りイスラエルの民は祖国に帰還して、イスラエルを再建しました。また、ローマ帝国によって、エルサレムが攻め落とされ、世界中に散らされ、国を失ったイスラエルの民でしたが、神様の約束通り、1948年にイスラエルが再建され、現在も世界中からユダヤ人たちが帰還しています。
神様のみことばは何千年経っても変わることがありません。永遠に変わることがない神様がイエス・キリストを信じる者はひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つと約束してくださいました。ですから、私たちは、この約束を信じることができます。救いの約束が確かだからこそ、人生のゴールが定まります。人生のゴールが定まっているからこそ、今の生涯をゴールに向かってまっすぐに歩むことができます。その助けとなるのが、神様のみことば、聖書です。ただ、私たちは、普段の生活でたくさんのことを選びながら生きなければなりません。もちろん、一つ一つ何をすればいいのか細かいことまで聖書には書いていません。それは、目に見える行いよりも、その行いの動機が大切だからです。行動するときの基準は、神様を恐れ敬っているか、隣人を愛しているのかということです。
キリスト教の長い歴史の中で、信徒にはたくさんの試練がありました。しかし、多くの信徒が、変わることのない福音を信じて困難を乗り越え、信仰を守り通し、約束のことばが真理であることを証しし続けてくれました。ですから、今も同じ福音が伝えられています。そして、その同じ福音を私たちも信じました。このすばらしい福音を握って、人生のゴールまで歩み続け、次の世代にも変わらない福音を伝えたいと願います。