2022年4月10日「人生の分かれ道」木下淳夫 師

タイトル人生の分かれ道
聖書ルカ22:39~46
説教者木下淳夫師

 今日は、「人生の分かれ道」というテーマです。

 今週はイエス様が十字架にかかられたことを覚える受難週です。イエス様がどれほどの苦しみ、悲しみを通られたのか、また、その苦しみに勝利されたのかを学び、私たちも誘惑に打ち勝っていきたいと願っています。

ルカの福音書22章39〜40節

39 それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。

40 いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。

(新改訳第三版)

 イエス様は、過越の食事の後、オリーブ山に行ってお祈りをされました。いつもなら、ここは、イエス様が弟子たちと一緒に、父なる神様との静かな交わりをする場所だったのですが、この時はサタンとの激しい戦いの場所になりました。

 イスカリオテのユダは、イエス様を捕らえて引き渡したら、銀貨30枚を渡すという祭司長たち、また、サタンの計画を受け入れました。そして、ほかの弟子たちにも分かれ道がありました。イエス様に従い続ける道と、イエス様を捨て去る道です。イエス様は、弟子たちの前に、大きな分かれ道があることをご存知でしたから、彼らが間違った道を選ばないように、誘惑に陥らないように、父なる神様を見上げてお祈りしなさいと命じられました。

 また、イエス様は、父なる神様がご計画されたとおり、苦しみを受ける道と、サタンが誘惑する、十字架から逃げる道、どちらを選ぶかという戦いに向かわれました。

ルカの福音書22章41〜44節

41 そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。

42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

43 すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。

44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。

(新改訳第三版)

 イエス様は、サタンの誘惑に対して全力で戦われました。弟子たちから少し離れて、たった一人で父なる神様と向き合い、サタンの誘惑に陥らないようにお祈りをされました。サタンの狙いは、イエス様を十字架の道から離れさせることです。それによって、すべての人の贖いを阻止しようとしました。サタンは、アダムが罪を犯したことにより、すべての人を罪人として支配し、自分の支配下に置いていました。しかし、すべての人の罪が、イエス様の十字架の死によって赦されると、サタンは人間を支配する根拠を失います。ですから、イエス様が十字架にかかることを何としても阻止しようと、最後の誘惑を仕掛けてきました。

 サタンは、十字架が大きな悲しみになることを理由に、十字架を避けるように誘惑しました。イエス様がすべての人の罪を背負うと、父なる神様との関係が断ち切られます。それは、イエス様にとって最も大きな悲しみであり、恐怖でした。また、十字架にかかることにより、愛する弟子たちからも捨てられます。これは、人間として耐え難い悲しみです。このように、サタンは、十字架は肉体的な苦痛だけでなく、精神的にも霊的にも大きな悲しみがあるので、十字架から逃れるように誘惑しました。しかし、イエス様は

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

と、その悲しみが事実であることを認めた上で、なお神様の御心に従い、すべての人を贖う道を選ばれました。

 イエス様が荒野で誘惑を受けられた時、サタンが退いた後、御使いがイエス様に仕えたのですが、この最後の戦いでは、御使いはイエス様に仕えることなく、天から力づけています。それほど、イエス様は孤独な戦いをしておられました。その戦いの激しさが、

「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」

というみことばに現れています。

ルカの福音書22章45〜46節

45 イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。

46 それで、彼らに言われた。「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」

(新改訳第三版)

 残念ながら、弟子たちは悲しみに耐えられず、誘惑に負けて眠り込んでしまいました。それでも、イエス様は彼らが信仰の戦いに負けても、再び勝利することができるように、「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と命じられました。

 私たちの人生には、たくさんの分かれ道があります。その道は、いのちと死の分かれ道、祝福とのろいの分かれ道です。それを私たちは自分で選ばなければなりません。サタンは、私たちが滅ぶことを狙って、私たちが死の道、のろいの道を選ぶように、悲しみや苦しみを通して誘惑します。ですから、私たちは、イエス様が「起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と命じられたことを覚えましょう。イエス様は、「私たちを試みに会わせないでください。」と、父なる神様に祈るように教えてくださいました。

 滅びに至る誘惑に打ち勝つ方法は、私たちが神様に目を向け、神様により頼んで、歩み続けることです。イエス様が、いのちを捨ててまで私たちを愛してくださったことを覚えて、私たちも父なる神様が備えてくださっている、いのちと祝福の道を選びとって歩んでいきたいと願います。