タイトル | 何のために献金するのか |
聖書 | 2コリント8:16~24 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「何のために献金するのか」というテーマです。
教会の活動は、献金によって支えられています。しかし、少子高齢化が進む地域の小さな教会は、活動を継続するための財政が非常に苦しいというのが現状です。その中で、「教会のために献金しなければならない」という気持ちが強くなりすぎて、信仰生活が窮屈にならないように注意する必要があります。今日は、私たちの教会も経済的に豊かではありませんが、一度主の御前に立ち止まり、何のために献金するのかを学んで、愛と希望、喜びを持った信仰の歩みをしたいと願っています。
コリント人への手紙第二8章16〜21節
16 私があなたがたのことを思うのと同じ熱心を、テトスの心にも与えてくださった神に感謝します。
17 彼は私の勧めを受け入れ、非常な熱意を持って、自分から進んであなたがたのところに行こうとしています。
18 また私たちは、テトスといっしょに、ひとりの兄弟を送ります。この人は、福音の働きによって、すべての教会で称賛されていますが、
19 そればかりでなく、彼は、この恵みのわざに携わっている私たちに同伴するよう諸教会の任命を受けたのです。私たちがこの働きをしているのは、主ご自身の栄光のため、また、私たちの誠意を示すためにほかなりません。
20 私たちは、この献金の取り扱いについて、だれからも非難されることがないように心がけています。
21 それは、主の御前ばかりでなく、人の前でも公明正大なことを示そうと考えているからです。
(新改訳第三版)
パウロが、コリントに行ったテトスがコリントの兄弟姉妹の愛と誠実さに触れて、パウロが彼らを愛しているのと同じように、彼らを愛して自分から進んでコリントへ行こうとしていることを手紙に書きました。そして、テトスと一緒に未解決の問題についても解決し、困難な状況でも互いに支え合い、また、エルサレム教会への献金も実現することを、パウロは期待しました。
さらに、パウロはテトスと一緒に、一人の兄弟を送ると言いました。誰でも見知らぬ人が突然やってくると警戒すると思います。ですから、パウロは初めてコリントに遣わされる兄弟を、手紙で紹介しています。ここで遣わされる兄弟の名前は明らかにされていませんが、この兄弟は使徒たちのように福音を伝えた兄弟であり、すべての教会で称賛される立派な信徒です。このような人をパウロが遣わしたのは、コリントで集められた献金が、途中で悪用されることがないということを、コリントの信徒だけでなく、エルサレムの信徒にも明らかにするためです。すべての教会で誠実な聖徒であると認められた兄弟が一緒に献金を集め、また、届けることで不正がないことを、パウロは示そうとしています。主の栄光のために、献金を集めているのに、そこで不正があったのなら、その働きは主の御名を悪用した詐欺であり、すべての人から非難されることになります。ですから、パウロは、主の御前ばかりでなく、人の前でも公明正大なことを示そうと考えていました。
コリント人への手紙第二8章22〜24節
22 また、彼らといっしょに、もうひとりの兄弟を送ります。私たちはこの兄弟が多くのことについて熱心であることを、しばしば認めることができました。彼は今、あなたがたに深い信頼を寄せ、ますます熱心になっています。
23 テトスについて言えば、彼は私の仲間で、あなたがたの間での私の同労者です。兄弟たちについて言えば、彼らは諸教会の使者、キリストの栄光です。
24 ですから、あなたがたの愛と、私たちがあなたがたを誇りとしている証拠とを、諸教会の前で、彼らに示してほしいのです。
(新改訳第三版)
パウロは、テトスとすべての教会で称賛される兄弟に加え、さらにもう一人の兄弟を送っています。この兄弟も名前は記されていませんが、彼は熱心な信徒であると認められていた人です。そして、彼もテトスからの報告を聞いて、コリントの兄弟姉妹に深い信頼を寄せて、ますます熱心になっていたので、コリントへ行って、奉仕したいと願い出ました。このように、パウロは自分の仲間であり、すでにコリントで奉仕したテトスを遣わすだけでなく、聖徒のための献金という恵みの働きを行うために、諸教会の使者、イエス・キリストの栄光を現す奉仕者として、すべての教会に認められた兄弟、また、彼らを励まし一緒に奉仕する兄弟を遣わしました。そして、この遣わされた兄弟たちを、キリストの愛をもって歓迎し、パウロがコリントを誇りとしていることが真実であることを、遣わされた兄弟たちに示して欲しいと願っています。また、その兄弟たちを通して諸教会に、コリントの兄弟姉妹が真実に、すべての聖徒たち、とくに困窮しているエルサレムの聖徒たちを愛していることを伝えたいと願っています。
今日、私たちが学びたいことは、19節の後半に記されている真理です。
19節 私たちがこの働きをしているのは、主ご自身の栄光のため、また、私たちの誠意を示すためにほかなりません。
献金は、主ご自身の栄光のためであることを覚えましょう。多くの富を与えられている人も、少ない富を与えられているも、それぞれ与えられているところに応じて、感謝をささげることにより、「互いに愛し合いなさい」と、イエス様が命じられたことを行うことにつながります。そして、神様がすべての人を等しく愛しておられるということを示すことになります。
また、献金は、人々に対して誠意を示すためです。イエス様が良きサマリア人のたとえを語られたように、いくら人を愛することが大切だと知っていても、それを実行しなければ、愛を知らないのと同じです。イエス様は、父なる神様がすべての人を愛しておられることを、ことばと行い、そして、十字架の苦しみを通して示してくださいました。
献金は、教会の活動に必要です。しかし、「献金しなければならない」と考えないように注意しましょう。神様が私たちを愛し、いつも恵みをくださっていることへの応答として、主の栄光のために、また、私たちが主を愛し、兄弟姉妹を愛していることが真実であることを示すために、進んでささげていきたいと願います。