2021年10月24日「永続する働き」木下淳夫 師

タイトル永続する働き
聖書コリント人への手紙手紙第二 3:4~11
説教者木下淳夫師

 今日は、「永続する働き」というテーマです。

 私たちの働きには、一時的なものと、継続するものがあります。どちらも大切なのですが、いのちに関する働きとなると、一時的だと困ります。神の国に入る約束が、「三日間有効」となっていたら大変です。しかし、使徒たちが伝えた福音、私たちが受け取った福音は、いつまでも続く契約であることを、パウロは伝えています。今日のみことばから、私たちも、自分が受け取った救いが永遠の契約であることを覚えて、地上での生涯をまっすぐに歩みたいと願っています。

コリント人への手紙第二 3章4〜5節

4 私たちはキリストによって、神の御前でこういう確信を持っています。

5 何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。

(新改訳第三版)

 パウロは自分が使徒としてふさわしい働きをしていたことを、コリントの信徒に証言しましたが、決して自分の力による成果であると考えているのではありません。ただ、神様が自分たちを用いてくださり、栄光を現してくださったのだと考えています。それは、パウロが使徒として、福音伝道の働きについていることを考えるとよくわかります。教会の迫害者であったパウロをイエス様は赦し、異邦人の使徒として選び遣わしてくださいました。だからこそ、パウロは使徒として神様の栄光を現す働きができました。

コリント人への手紙第二 3章6〜11節

6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。

7 もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、

8 まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。

9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。

10 そして、かつて栄光を受けたものは、この場合、さらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているからです。

11 もし消え去るべきものにも栄光があったのなら、永続するものには、なおさら栄光があるはずです。

(新改訳第三版)

 パウロは、律法を詳しく学んで神様の契約を理解していました。ですから、パウロは律法を守ることによって、罪の赦しを得て、神の国に入るという契約に仕えていたと言えます。ところが、神様はパウロに新しい契約に仕える者になる資格を与えられました。その新しい契約とは、十字架に架けられたナザレのイエスが、真の神様であり、イスラエルが待ち望んでいた救い主であると信じることによって、罪が赦され神の国に入ることができるという契約です。神の国に入るための条件が、新しい契約によって変わりました。

 その新しく変わった信じるべき内容について、もう少し詳しく説明します。イエス様が私の罪のために十字架で死んでくださったこと、墓に葬られたこと、三日目によみがえられたことを信じるなら、今まで神様に背を向けて自分勝手に生きてきた罪が赦され、さばきを受けることなく、永遠のいのちを頂いて、神様の子どもとして神の国に入ることができると約束されています。

 この新しい契約に仕えることについて、パウロは御霊に仕える者になったと言っています。今までは、律法という文字を読み、そこに書かれている文言を厳格に守ろうとしていたのですが、人間の弱さのために、忠実に守ることはできず、また、そもそも律法を正しく解釈することができないという問題もありました。しかし、イエス様を信じることによって与えられた御霊なる神様は、神の国への証印となり、イエス様に従う人に、神様のみこころを正しく教え、実行できるように助けてくださいます。その御霊の助けがあるからこそ、イエス様を信じた人は、神様の子どもとして生きることができます。パウロは、聖霊様が人々に与えられるように、人々がわかる言葉で、見える行いで、神様の愛、イエス・キリストの恵みを伝える働きを任されていました。

 御霊に仕えることが、どれほどすばらしいことかということを、パウロは、モーセと比較して説明しています。律法に仕えていたモーセが、神様との交わりを通して受けた神様の栄光のために、人々がモーセの顔を直視できなかった出来事が聖書に記されています。ただ、その栄光もやがて消えていく輝きでした。律法を守ろうと懸命だったパウロは、律法を通して、いのちを得るどころが、自分の罪に気付かされ、自分が死ぬべき者であると知らされる一方でした。そのような、人を罪に定め、死を覚悟させる律法に仕えていたモーセですら、栄光の輝きを受けたのなら、キリストの恵みによって、罪を赦して義と認め、永遠のいのちを与える御霊の働きには、なおさら栄光があります。そのように、パウロは新しい契約に仕える者として、神様から資格を与えられ、あなたたちにいのちを伝えた、そして、あなたたちは、イエス・キリストの恵みによって、神様の子どもとして永遠のいのちを持っているのだと伝えています。

 私たちはコリントの人たちと同じように、使徒たちが伝えた福音を信じました。そして、イエス・キリストが、私の罪のために十字架でいのちを捨て、墓に葬られ、よみがえられたことを信じることによって、罪を赦され義と認められ、神様の子どもとして永遠のいのちをもって神の国に入ることが約束されています。パウロは「もし消え去るべきものにも栄光があったのなら、永続するものには、なおさら栄光があるはずです。」と言っています。私たちが受ける救いは、失われることがなく、いつまでも残ります。どのような困難の中にあっても、決して神の国に入る約束は変わりません。主イエス様が、いつもともにいてくださる約束は変わりません。この希望をもって、神の国に目を向けて、信仰の歩みを続けてまいりましょう。