タイトル | すべての慰めの神 |
聖書 | コリント人への手紙手紙第二 1:1~7 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「すべての慰めの神」というテーマで、コリント人への手紙第二1章1〜7節を読んでまいります。
コリント人への手紙第二 1章1〜2節
1 神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロ、および兄弟テモテから、コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
(新改訳第三版)
この手紙はパウロとテモテから、コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒に宛てて書かれています。パウロが、神の教会、そしてアカヤ全土にいるすべての聖徒を覚えてこの手紙を書いていることから、この手紙が、どこででも起こることについて書かれていることがわかります。ですから、私たちにも当てはまることだということを覚え、私たちも「私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。」と祈りながら、みことばを読んでまいりましょう。
コリント人への手紙第二 1章3〜4節
3 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
(新改訳第三版)
父なる神様がどのようなお方であるのかが記されています。
まず、「主イエス・キリストの父なる神」です。これは、イエス様ご自身が、神様を「父」とお呼びになったことからわかります。父なる神様と一つであるイエス・キリストによって、私たちに神様の恵みと平安が注がれます。
次に「慈愛の父」です。「父」というときびしい、こわいというイメージを持つ人がいるかもしれません。もちろん、神様はきびしい面もありますが、慈愛に富んだお方です。
そして、「すべての慰めの神」です。私たちの悩み、悲しみを知ってくださり、慰めてくださるお方です。神様は、どのような苦しみの時でも慰めてくださいます。
パウロは、多くの苦しみを経験し、同時に神様の慰めを経験してきました。ですから、パウロは、この慰めの神が、どんな時でもともにいてくださるので、どのような苦しみにあっても深い慰めを与えてくださり、その慰めを受けるからこそ、パウロたちはほかの人たちにも慰めを与えることができると教えています。自分が苦しんだからこそ、人の苦しみに同情することができ、自分が慰めを受けたからこそ、苦しむ人を慰めることができます。
コリント人への手紙第二 1章5〜7節
5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。
6 もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。
7 私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。
(新改訳第三版)
パウロが宣教の働きを通して経験したことは、イエス・キリストを信じて従うことゆえの苦しみと慰めでした。そして、神様から与えられた慰めは、苦しみをはるかに上回り、パウロは、さらにキリストの愛の深さを知るようになりました。そして、自分が苦しみに遭うのは、聖徒たちの慰めと救いのためであることを確信しました。自分がキリストの苦しみによって救いに与ったように、イエス様を見たことがない人たちも、パウロがキリストのゆえに苦しむことを通してイエス様を知って救いを受け、さらにパウロと同じように神様の慰めを受けるようになることを、パウロは確信していました。そして、聖徒たちが神様の慰めを受けて、パウロが経験したようなキリストにある苦しみにも耐え抜く力を与えられ、聖徒たちが成長することを願っていました。
イエス・キリストを信じて従うと、すばらしい恵みを受けます。しかし、同時にこの世では、キリストに敵対する力が働いているため、苦しみも受けます。キリストに敵対する世にいるために、イエス様を信じた信徒は、今までになかった信仰の戦いを経験し、苦しみに会うことがあります。そのようなときに、忘れてはならないのが、私たちの父なる神様は、慈愛の父であり、慰めの神であるということです。このお方がどのような苦しみの中にあっても、ともにいてくださり慰めてくださるからこそ、私たちは忍耐する力が与えられ、信仰生活を続けることができます。
コリント人への手紙第二 1章7節
私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。
(新改訳第三版)
パウロは、聖徒たちが経験している信仰による苦しみをすでに経験し、その苦しみに勝る慰めも経験しました。だからこそ、私たち聖徒は、困難に直面しても、神様から慰めを受け、忍耐する力も与えられると確信しています。信仰によって苦しむことがあっても、恵みと慰めもキリストにあってあふれて、揺るぐことがない神様への信頼を持つようになります。その揺るぐことのない信仰は、生きた信仰の証しとなり、次の世代に繋がります。今、私たちは経験したことんがない困難の中にあります。しかし、神様はその苦しみに耐えられるように、慰めと力を与えてくださいます。すべての慰めの神様が、私たちを愛してくださっていることを覚えて、私たちも神様により頼んで、困難を乗り越え、与えられた恵みを次の世代に宣べ伝えてまいりましょう。