タイトル | はじまりはイエス・キリスト |
聖書 | ペテロの手紙第二 3:14~18 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「はじまりはイエス・キリスト」というテーマです。
先週、この世界の終わりについて学びましたが、私たちがみことばを学び、終わりの日の備えができるのも、すべてイエス・キリストの恵みによって、滅びの道から救われ、神様の子どもとしていただいたからです。このような新しい人生に導かれた教会の兄弟姉妹に、ペテロは後からやってくる偽りの教えに惑わされないように警告しています。私たちもペテロの手紙を、しっかりと読んでキリストの恵みを感謝し、正しい知識を蓄えたいと願います。
ペテロの手紙第二 3章14節
14 そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。
(新改訳第三版)
天のお父様である神様は、悪に対しては厳しくさばきをくだされますが、本当は一人も滅びることを望んでおられません。だからこそ、救い主イエス・キリストの恵みにより、全世界に福音を知らせ、永遠の滅びから救おうと、御手を差し伸べてくださいました。また、すぐにさばきをくだすことをせず忍耐して、すべての人が、自分が神様に対して背を向け、自分勝手に生きてきた罪に気づき、悔い改めて神様に立ち返ることを待っていてくださいます。その忍耐の時は、私たちの時間で、もうすぐ2000年になります。それほど長い時間、忍耐し続けてくださっています。そして、すべての人が悔い改めて、神様が用意しておられる新天新地に入り、そこで神様は、私たちと顔と顔を合わせて会う日を待っておられます。
私たちは、イエス様を信じる前は、罪に汚れた者でしたが、イエス様が私たちの罪と汚れをすべて背負って十字架で死んでくださったので、私たちはしみも傷もない者にしていただきました。ですから、イエス様を信じた人は、永遠の滅びから救われ、新天新地で神様にお会いできるという希望を持つことができます。そのような希望を持っているのですから、普段の生活においても、救われた者として、神様の子どもとしてふさわしい生活をすることです。終わりの日はいつ来るのかわかりません。ですから、その日がいつ来ても慌てることがないように、平安をもってイエス様を迎え、また、天のお父様の御前に出ることができるように、準備をしておくことが大切です。
ペテロの手紙第二 3章15〜16節
15 また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。
16 その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所の場合もそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。
(新改訳第三版)
イエス様がまだ帰ってこられないこと、終わりの日がまだ来ないことを、ある人たちは「神様の約束は成就しないのだから、イエス・キリストは信じるべきではない」と言うかもしれません。しかし、まだ終わりの日が来ないのは、主が忍耐してくださっているのであり、それは主が私たちを救うために、さばきを遅らせてくださっているということを忘れてはいけません。偽教師たちのように正しい知識を持たない無知な人、神様のみことばを聞いても、イエス様に従おうと決心して行動することができない人たちは、そのような神様の御愛を誤解し、パウロが書き送った手紙でも、理解しにくいところは自分の都合の良いように解釈し、真理から離れて滅びを招いてしまいます。
ペテロの手紙第二 3章17〜18節
17 愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。
18 私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。
(新改訳第三版)
ペテロは教会の兄弟姉妹が、偽教師たちに惑わされることがないように、彼らの特徴、彼らの結末、また、彼らの教えに従ったときの結末について教え、偽りに惑わされ、真理から離れることがないようにと注意しています。
そして、惑わされないために大切なことが、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識です。主の恵みがなければ、私たちは真理を知ることができません。また、主であるイエス様が与えてくださるみことばを、聖書や教師たちの教えを通して聴き、神様について、イエス・キリストについて、聖霊について、救いとは何か、救われたのち私たちはどうなるのか、最後にはどこへ行くのかなど、さまざまな知識を蓄えなければ、自分が今何をすべきなのかわからず、成長することはできません。
すべてのことには始まりがあり、終わりがあります。私たちの始まりは、父なる神様に命を与えていただいたことから始まっています。そして、父と母を通して人としての肉体を備えていただき、さまざまな人の愛を通して人として成長させていただいています。しかし、真理の道を知らなかったときは、気づかないうちに最後の審判でさばきを受ける滅びの道を歩んでいました。その誤った道から私たちを救ってくださったのがイエス・キリストです。私たちの神様の子どもとしての人生は、イエス・キリストの恵みによって始まります。イエス・キリストによって救われたことを忘れず、イエス様のみことばを日々学び、イエス様に栄光がありますように、ほめたたえてまいりましょう。
ペテロの手紙第二 3章18節
18 私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。
(新改訳第三版)